メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第1章

身にしみた日本のメキシコ料理の現状、
そしてメキシコへ

外国語を訳すことがこんなにも楽しいとは!学生時代には思いもよらなかった毎日である。店舗拡大した厨房を殆ど任された私は、タコスを中心にしたメニューに飽きたらず英語で書かれたMEXICAN-COOKINGの原書を元に、我が意を得たりとばかりに新メニュー開発に取りかかる意欲を燃やし、試作した料理がお客様の評価を得て定番となる喜びに浸りながら無我夢中の日々を過ごしていた。今、思えばまるで時代を担う寵児(ちょうじ)のように錯覚をしていたのであろう。2年も過ぎた頃の事だった。神戸港に着いたメキシコの貨物船から船員達が立ち寄ってくれたのである。注文を受け、得意気にいくつもの皿を提供する私に、我が耳を疑う声が聞こえてきた。「何だこれは、メキシコ料理じゃないね」、「ひどいね、この皿は」、明らかに不満気に彼らは憤(いきどお)っているのだ。日本人の顧客には美味しいと絶大な賞賛をされた味が何故? 問い正した私への返答は、全てのメニューが本国のものではないという全面否定の残酷な言葉であった。後に知ることになるが、当時の私は米国で培われたTEX-MEXのメキシコ料理を準(なぞら)えていたのである。

意気消沈した私は微(かす)かな期待を胸に、大阪、名古屋、横浜、東京とメキシコ料理の看板を掲げている店を訪ね歩いてみた。しかしどの店も似たようなメニューしか提供しておらず、これはもう本国に行って確かめるしかないと心に決め、あらゆる伝(つて)を駆使して情報を集めメキシコへ旅立つことになる。26才の秋の事だった。到着した次の日から就職活動のため弁護士に労働ビザの申請を依頼して、メキシコ大使館の方に頂いた20件ほどのリストを元に各レストランを訪ねる日々が始まった。しかし我国よりも失業率の高いこの国の事情ではどこの店も外国人には素っ気無く、冷たくあしらわれるだけだった。3週間後、就職先の決まらぬ私は、残りの金で地方を回ってから帰国する気持ちで弁護士に事情を告げに行った。

一通り話し終えた頃、彼は自分が顧問をやっている会社の役員がひいきにしている店があるから聞いてみると、その場でその役員に「メキシコ料理に熱意を持った日本人がいる、何とかならないか」と、電話をかけてくれたのである。全く身も知らぬ他人の温情深い配慮で、その店の面接が予定された私は、次の日、驚嘆に価する光景を目にすることになる。