メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第3章

意気揚々と帰国、待っていた現実

帰国した私は早速メキシコ大使館を訪ね、都内で本物のメキシコ料理を教えてみたい気持ちを伝えてみた。今考えてみれば、大使館が就職斡旋などする訳も無く、この世間知らずと冷静に判断出来るのだが、当時の私は思い詰めた気持ちだけが先走り、藁(わら)にも縋(すが)る思いでそこにいた。後に大使補佐となる彼はじっくりと私の話に耳を傾けてくれ、私の目を見据えると、徐(おもむろ)に受話器を取り上げダイヤルを回し始めた。相手は気心の知れた間柄らしく、簡潔に事情を説明した後、何と翌日の面接まで手配をしてくれた。偶然にも彼のメキシコ留学時代の親友が赤坂でメキシコ料理店を営んでいたのである。大使館と目と鼻の先にあるその店はプロのラテンバンドが生演奏する業界では有名なライブハウスだったが、料理部門だけが充実していなかった。幸運なことに健康状態を確認するだけの形ばかりの面接で即採用が決まった。2週間後、住居を決め上京し、逸(はや)る思いで迎えた初出勤の午後は、少しの緊張とそして充実感に満ち溢れ、「ようやく日本のメキシコ料理の流れを変えることが出来る」と確信していた。だが見事にその思いは打ち砕かれるのである。

強い変革の意志に捕われていた私は厨房での挨拶もそこそこに、まず彼らが信じ込んで来た TEX-MEXの形態を否定した上で、本来のメキシコ料理の基本を説き、トルティージャの焼き方、各種サルサのレシピ、多様性に富んだ一品料理の数々を実演して見せ、「明日からこの調理法でやります。宜しくお願いします。」と無事初日を終えたのである。半信半疑の彼らを後に帰路についた私は高揚した気分で、まるで維新を控えた幕末の志士のような思いであった。翌日、驚愕のアクシデントが起こる。厨房に立ったのは自分一人、誰もいない。訳を聞くと退職したとのことである。他のスタッフからは「貴方が来たから...」と非難され窮地に立たされたが、謝罪をした上で一人でやる決心を伝え、納得をして頂いた。兎に角、美味しい料理を出せば顧客には理解してもらえると献立を一新してその夜を待った。しかし、その考えも甘かった。これまでの味に慣れていた彼らには、「こんなスパイスの効いて無い料理はメキシカンじゃない。」とブーイングの嵐だった。でも元のメニューに戻す訳にはいかない。「もう少し時間を下さい。」とオーナーに承諾を求め、仕事を続けてはいたが、心中は早期にメキシコに戻ることを決めていた。