メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第4章

7坪の店からの始まり、「La Casita」の誕生

苦渋の日々が続く中オーナーに胸中を吐露した私は、後釜を育成することでこの逆境から逃れようとしていた。半年を過ぎる頃、高木と名乗る男からの電話を受けた。「渡辺さんはメキシコ料理のシェフだと大使館の方から聞きました。大事なお話があります。詳しくはお会いしてから...」。その週の休日、待ち合わせの店に現れた彼の話は意外なものだった。聞けば、自分が住むマンションの知人が渋谷駅前で小さな焼鳥屋を営んでいるが、その場所にビルが建つことになった。完成するまでの間公園通りの代替地をもらったが、あいにく坂の上で、同じ商いをやる自信が無い。若い人が多い地域なので何が向いているのか相談を持ちかけられたとのこと。彼の頭に閃いたのはメキシコ料理だったが、果たして料理人がいるのかどうかメキシコ大使館に問い合わせたら私の存在を教えられた。是非、知人に逢わせたいと懇願されたのである。表現の場所を求めていた私には願ってもない吉報であった。早速了承して話は進み、店の運営を任されることになった。たった7坪の小さな物件で、期間は約1年半の契約ではあったが、限りない夢の実現に向けていよいよ第一歩を踏み出した。

念願の厨房を手に入れた私は、手が届く、目が届く範囲の気持ちを込めて店名を「La Casita」(小さな家の意)と名付けた。1坪の調理場には制限があったが、前菜、スープ、軽食、一品料理、デザートに至るまでのメニューを構成し、これまでのハードシェルのタコスや豆料理の幻影を打ち消す表明からスタートしたこの店は徐々に知識人達に認められていった。自画自賛になるが、妥協を許さない全て手作りの献立は、味も然ることながら目新しさに評判を呼び、月刊誌や週刊誌の取材も受けるようになった。そんな折、「マヤ アステカの遺跡」の写真集への原稿依頼や、側のNHKからラジオで、メキシコ料理の解釈(毎週30分×4回)について話す機会を与えられた。この出来事が自分の中に隠れていた使命感を呼び起こし、表現が出来る場所を設定して披露することが第一なのだと意識するようになった。まだ若干29才、メキシコに勉強しに行く時間は何度でも作れる。我が店を持つことが先決だと思いを深めていった。契約が切れる年の秋、独立を考えていた私に顧客の一人が「代官山がいいよ」とアドバイスしてくれたのである。この言葉によって私は千載一遇のチャンスを迎えることになる。