メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第5章

渋谷から代官山へ、順風満帆な旅立ち

通常、飲食業の店舗を構えるには立地条件を第一に掲げ、人通りや駅周辺の繁栄を考慮した場所を選ぶものだが、当時の代官山は駅の乗降客も少なくまるで不向きな所だった。案の定、業者や知人達から六本木や赤坂、銀座など勧められたが、私はこの代官山のロケーションが気に入っていた。既存の街のイメージが出来上がっている地域より、住宅街の中を幹線道路が走る何も無い場所こそメキシコ料理の主張を貫けると確信していたのである。敢えていうなら、顧客にわざわざ足を運んでもらってこそ対等に立ち向かえると、まるで戦いを挑むような気持ちでいた。しかし繁華街ではない分、物件は殆ど無く思うように事は運ばなかった。暮れも押し詰まった頃、あきらめかけていた私に朗報が届く。先般「代官山がいいよ!」と助言をくれた顧客の知人が管理するビルでリース業を営んでいた事務所が、年内で閉鎖するという知らせだった。都心部とは比較にならない格安の家賃契約で交渉が成立し、場所の権利を確保した私は開店準備に奔走することになる。少ない資金で事を進めるには従来の常識に囚われず、イスやテーブル、看板は手作り、そして内装の骨格は家屋を解体した廃材を譲り受け業者に託したのである。時は1978年、まだバブルの恩恵を受ける随分前だった。

「La Casita」(小さな家の意)のイメージ通り、事務所の駐車場をテラスに作り替え、正面の景観を一軒家風にデザインしたこの店が、近い将来、時代の潮流に巻き込まれ、やがて伝説の店になろうとはこの時の自分には思いもよらなかった。さて、遥かなる夢に向かってスタートしたこの年、開店当初こそ客はまばらだったが、運気は意外と早く訪れた。幸いにも代官山地域には一流のデザイナーを抱えるアパレルの会社や著名人の自宅、芸能プロの事務所が点在していて、いわゆる時代の表現を先取りする人々が身近に多勢いたのである。物珍しさに来店した彼らは、これまでの体験した事の無いメキシコ料理の表現に驚き、理屈っぽく解釈を語る私に注目し、口コミで店の存在を広めてくれた。現在でも親交のある愛川欽也夫妻やサックス奏者の伊東たけし君はこの頃からの常連だ。店は評判を呼び、取材も増えTVの料理番組にも取り上げられていった。旺盛な探究心は止むことを知らず、メキシコ大使館との交流の中で大使の食事を作らせて頂いたり、本国から原書を取り寄せて食文化の歴史や郷土料理の実体の習学に没頭するのもこの頃である。だが、順風満帆に思えた店の経営の前途を揺るがす事態が私を待っていた。