メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第6章

順調に走り始めた「小さな家」。しかし時代の波が

近代、数多くのシェフ達が知らしめたイタリア料理に、ピッツェリア、トラットリア、リストランテと店の形態に区別があるのは周知の事実だが、メキシコ料理に置き換えてみるとまだまだその認識には程遠く、これから30~50年の時間を費やさなければいけないのが実情である。振り返れば30年前の私はレストランとしてのメキシコ料理店を位置づける思いに強く駆られていた。時代に助けられたのは、その頃の代官山のレストラン事情が小川軒を始めとしてマダム・トキ、アントニオ、シェ・リュイ、レンガ屋等、凄腕のシェフを配する一流店しか無かったことが一因とされるであろう。無謀にもそんな所に出店してしまったラ・カシータが徹底して味を追求する姿勢で臨むものだから、余程の裏付けのある店だと顧客の間に有り難い噂が広まったのである。各国の大使館員だけでなく、メキシコ観光審議会の船場局長の呼びかけで世界40ヶ国の局長達の集いがあったり、外資系会社の役員達の家族の食事会などでお客様の殆どが外国の方ばかりで埋まる日々もあった。顧客の絶大な後押しに恵まれてこうして付加価値の付いたラ・カシータは、連日満員で予約の取れない人気店として世間に認知されていったのである。

順調な店の運営を揺るがすその黒い影は、何の前触れも無く突然やって来た。9年も過ぎた年の暮れのことだった、厳つい面構えの男が訪ねて来て、「ええ場所やなあ、欲しいなあ。」と話しかけてきたのである。最初は冗談だと思って聞き流していたのだが、本気らしく、この場所の権利を放棄して出てくれと言うのだ。後に知ることになるが、当時は都心の一等地で土地を転売して利鞘を稼ぐ、いわゆる地上げ屋と呼ばれる人々が横行していて、正にその類の人物だった。幾度かの交渉の中でこちらの言い分は通じないままに、相手の要求は脅迫めいた内容にエスカレートしていった。従業員に対する危害や放火を匂わす発言には成すすべも無く、代替地も決まらぬ状況で営業を断念する事態に追い込まれてしまった。10数人いたスタッフ達も事の深刻さに解散を余儀なくされ、料理長と他2名残して再開のプランを相談することになった。近くにアパートの一室を借りて電話をひき、毎日かかる予約の方々に店が無い事情を説明して、場所は未定ですが再開の折には必ずお知らせしますと連絡名簿を作成していった。結局、現在の場所にオープンするまで8ヶ月の時を要したが、名簿の人数は6000人を超えていた。