メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第7章

商売よりも売り込みたい、自分の想いと
本物のメキシコ料理

9年の歳月を培った旧山手通りのラ・カシータは我が意の想定を遥かに超えて顧客の胸に印象深く刻み込まれていた。思い返してみれば横暴の限りなのだが、客が来店すると即座にメニューと伝票、ボールペンを卓に置き、「ご注文が決まりましたらこちらにお書き下さい。」と応対していたのである。顧客の知識の中にあるTEX-MEXに依存する偏った思いを蹴散らして、本来の姿に遭遇して頂く為に強行した手法が意外にも面白いと喜ばれたのである。最初は戸惑いを覚えていたそれぞれの客達も、次に来店した時にはメニューを選びながら、「この店は注文を自分で書くんだよ。」とまるでオリエンテーションに参加する意識で捉えていた。

飲食業の常識を覆した手法は顧客の心に自分が先に見つけた店と優越感を抱かせ、さらに個別の料理名を覚えてもらえた上、オーダー間違いも無い、正に一石三鳥の結果を得たのである。

30年前のその頃を振り返る顧客達によく言われるのが、あの頃の貴方は愛想が無かった、怖かった、よく叱られた...でも美味しかったからと、味の定評が救いになっていた様である。現在の自分はもう当時の様子を殆ど忘れてしまっているが、受けた方はしっかりと記憶に残っているものかも知れない。

語り草となる過去のエピソードは数知れず、先日も常連客の一人、メークアーティストのトニー田中氏と話していたら、「そう言えば、10年くらい口を聞いてくれなかったよね。」と当時の話題になった。敢えて無視した訳ではないが、芸能界や経済界、写真や芸術の各専門分野の著名人達が大挙来店してくれた状況の中で、親しく話す事が心の隙を作り、つい相手の意向を聞いてしまう自分を恐れていただけのことであった。一般の方々への接客同様に料理の説明だけに絞り込んだ対応は、常にもて囃(はや)される立場の彼らに意外性を植え付け、「ラ・カシータのマスターは偏屈、頑固だ。」と悪評(?)を広めてくれた。頑なな姿勢は一点の曇りも許さず、夏の季節でもアイス・コーヒーはメニューに無かった。メキシコに存在しないだけの理由で...。酒もメキシコビールとワイン、テキーラ、マルガリータだけに限定し、全ての価格を料理よりも高くしていた。その頃のメキシコ料理の看板を掲げていた他店が夕方から夜中の営業態勢で、飲んで騒いでのイメージしか持ってもらえなかったからである。飲みに来る場所じゃ無い、食事に来て欲しいと午前中からOPENしてラスト・オーダーは21時30分であった。こんな店によくぞ顧客達は辛抱して付いて来てくれたと、今更ながらに感謝に絶えない。