メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第10章

幼少の頃からの不思議な感覚、とスペイン語

この30年余の間、数え切れない取材の度に必ず質問されることがある。「どうしてメキシコ料理なんですか?」と。周りから見ればそんなに特異なことなのだろうか、取材陣の頭の中には、料理の道を志した者は和食か中華、フレンチ、現在ならイタリアンといった固定観念が住み着いているようである。確かに料理界において1970年代では前者3つは常道であり、後の1990年代後半はイタリアンが大ブームとなった。1998年、イタリア本国での修行に渡った日本人の人数はその年だけで4000人を数えた。そしてフレンチを衰退させイタリアンが主となっている現実がある。そんな我国の現状から推察すればリポーターの質問は当を得ているようにも思える。事実、私のメキシコ修行(1974年~)以降、本国で何年も料理の仕事に邁進した日本人は誰一人もいない。言語のネックを理由とするならば、フレンチやイタリアンも同様であろう。思うにこの国の国民性として、多人数が認める情報の事実は常道(常識)として蓄えてゆくが、人々が関心の無い部門の知識は知らなくても羞恥の念に捕われないのである。料理の仕事だけに限らず、一般的な通念の尺度で物事が判断されるのは、この国の特別事情の感がある。

小学校低学年の頃、遠足や運動会よりも楽しみだった日がある。年に数回命じられる給食当番だ。前日は枕元に三角巾、マスク、前掛けを置き、興奮して眠れなかった記憶がある。給食室にある大きな寸胴から分けられた料理を、教室で皆に給仕する作業に心が弾んでいた。中学生の頃はサンドイッチを得意気に作ったり、父親が吸っていた50本入りのショートピースの空き缶に針金を付け、米と水を入れて飯盒炊さんの真似事をしたりして友達をもてなしていた。シナプスと言う言葉をご存じだろうか? 脳の一部にある幼児性が根差す神経である。成長の過程で世間の通念や親の教育によって消え去る部分らしいが、ジャズの大御所、故マイルス・デイビスの脳には残っていてあの常人の及べない音を表現出来たと聞いたことがある。天才と肩を並べようとは思わないが、幼い頃に夢中になったあのワクワク感こそ、自分自身を表現出来る源流だと理解している。社会通念に従ったままでは出会うことの無かった調理に目覚め、天職と感じるのは自身の疼きに忠実なだけだったが、メキシコ料理の伝道師と言われるまでに評価を受けられたのは、京都外大で学んだスペイン語が基盤となっている巡り合わせに感謝したい。