メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第16章

巨匠、岡本太郎との出会い

話は少し時代を遡(さかのぼ)るが、代官山にOPENした1978年、夏の頃、ある出版社の企画が持ち込まれた。「メキシコ料理に舌鼓を打つ、巨匠、岡本太郎」の特集記事だったと覚えている。メキシコシティの新築ホテルのロビーに、雄大な壁画を完成させて帰国したばかりの太郎先生には打って付けの取材だと、編集者達は意気込んでいた。午後の店を借り切って行われたインタビューの間、前菜、スープ、タコス等の軽食、海老、牛フィレ肉、デザートまでを余すところ無く食された先生は頗(すこぶ)る上機嫌で、驚いたことに「こんなに美味しいメキシコ料理を作れる人に、メキシコ料理の実状を執筆してもらえばいい。」と提案されたのである。思いがけない展開に3日間の猶予を頂き、「素晴らしき愛と情熱の味」と称して書き上げた約5000字の原稿は特集記事のラスト2ページに掲載された。文章を書く才能なんて自分には・・・。と常日頃自信は無かったが、頑張れば出来るかな?と感じさせてくれた出来事であった。有難いことにそれ以来、飲食専門誌からの執筆依頼や、「地球の歩き方」のメキシコ料理講座等、実践で精進出来る機会に恵まれて行くのである。

取材時の料理が余程気に入られたのか、それから太郎先生は養女の敏子さんと二人で毎月のように来店された。特にお好きだったのは、長時間煮込んだ豚の胃に焦がし唐辛子のサルサをかけたタコス。「これは絶品だね!」と毎回誉めて頂けるので、ある時、「先生、これも芸術ですか?」と冗談めかして聞いてみたことがある。即座の返答は「爆発だ!」と例のポーズと表情でおどけられた。これからの日本国内でのメキシコ料理の発展性について熱く語る私に何かを感じられたのか、「君はすごいな!」と肩をポンと叩かれた思い出もある。印象深いのは、岡本太郎館の話題になった時、「あんなものはどっちでもいい。」と答えられたのである。実績を振り返らず、次に何を表現するかしか心中に無い。亡くなられる直前の2ヶ月前までテキーラをショットで嗜(たしな)みながら、タコスをむさぼるように食す元気なお姿は今もこの目に焼き付いている。ラ・カシータをこよなく愛してくれたお二人に、改めてご冥福をお祈り致します。見栄も虚栄も持たず、自分自身に忠実な情熱の魂の奇才と20余年もの間お付き合い出来た事は、私の心の財産と感じている。