メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第18章

大きな壁への挑戦

1976年、渋谷の公園通りにオープンした頃は、一般の人々のメキシコ料理に関する認識はまだまだ程遠いものがあった。今では笑い話になるが、タコスを「たこ酢」と勘違いされたり、ワニやトカゲが食材の下手物(ゲテもの)料理と思われたりもした。そんな中でメキシコ大使館、領事館を始め、メキシコ政府観光審議会の職員の方々、絵画、写真、音楽等の表現者達一同が集合したグループ「メキシコを知る会」のメンバー達の「ラ・カシータの料理は本物だよ!」という評価が細波(さざなみ)のように浸透したのか、箱根の著名な旅館から「メキシコ祭り」の料理指導の依頼が舞い込んだ。当時は唐辛子の種類も現在に比べると格段に乏しかったが、入手出来うる限りの材料でメニューを構成し、懇切丁寧に教えた結果、その企画は大成功を収めた。メキシコ大使館も関与していたせいか、各部署の関係者からも絶賛された。この時はまだ知る由も無かったが、この出来事が大きな体験に導かれていく導火線になっていた。それは代官山に店を構えたばかりの頃だった。大使館からの突然の電話は耳を疑う事実を告げていた。「来月、メキシコ大統領が来日される事になった。宿泊先のホテル、迎賓館での宴会の料理を指導して頂きたい。」と・・・・・。

その宿泊先とは赤坂ホテルニューオータニ、日本屈指の名門ホテルである。依頼を受けたのは名誉な事ではあるが、真っ先に頭を過(よ)ぎったのは現場が信じ込んでいるアメリカメキシコ料理の認識を覆(くつがえ)せるかの思いであった。自信とプライドに満ちた職人達が溢れる厨房の中で、果たして本来の自分を表現出来るのか?後日、赤坂見附の駅に降り立った私には、目の前の本館の建物が正に大きな壁に感じられた。久々の緊張感を味わいながら入館して案内されたメニュー編成会議の部屋には、古谷総料理長以下、ソムリエ長の熱田氏、宴会部長、料飲部長、日本人、フランス人2人の宴会料理長の6人が待ち構えていた。自己紹介を終えた私にまず料飲部長から「資料は持って来たのかね。」と質問があった。レシピがあれば読めば出来るかのような意識が漂っていた。実は心した要求が通らなければお断りするつもりで当日手ぶらで参加させて頂いたのである。それは自分の店で担当料理長の研修を行う途方も無いお願いであった。案の定、話始めてすぐ「何を言ってるんだね。」と一喝された。会議室には唖然とした空気が流れていた。