メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第22章

世界三大テノール、ドミンゴ氏との出会い

「個室がありますか?」お客様からのご予約の際、時折質問されることがある。他人に顔を見られたく無い、身内だけで気兼ね無く食事を楽しみたい。著名な方々や、雑音の無い場所での接待等、相手方の諸事情はよく理解出来る。残念ながらラ・カシータは備えていないので、これまでご要望を裏切り、断念して頂く場合も多々あった。ただ私の持論ながら、人間(生物)の最大の要である食行為は、緊張感の無い中で無防備、且つ無邪気に没頭出来ることが望ましいと常日頃考えている。客席のそれぞれの食卓の方々が同じ目線、同じ距離感で食事を楽しんでこそお互いに共有出来る幸福感が生まれていく。提供する私達もマニュアルやレシピ通りに調理するのでは無く、その瞬間に届けられる美味しさを最大限に表現する事が使命であり、厨房の連携が食味を堪能したお客様の感動を呼び起こす基盤だと確信している。手掴みで食するものが多いメキシコ料理だからでは無く、気を遣う必要を感じず自分自身を投影出来る食事体系の精神が我が店の一皿、一皿には注入されているものと自負もある。2002年も深まった秋の頃だった。NHKホールからの予約の電話は光栄な事実を告げていた。「プラシド・ドミンゴさんがそちらの店をご希望です。大事なお客様なので個室が無いのなら、目立たない席をお願いします」。生憎(あいにく)その日は満席状況で、隅の席ならご用意出来ますと答え、到着を待った。20分後、黒塗りの高級車で現れた一行6名に店内は一時騒然となった。

ルチアーノ・バヴァロッティ、ホセ・カレーラスと共に3大テノールとして世界に誇るオペラ界の巨星の来店に緊張感は溢れたものの、ご本人は至って気さくに奥様と身内の関係者を紹介された後、「美味しいメキシコ料理店だと聞いて来た、楽しみにしている。」と着席された。私が修行したメキシコのレストランをよくご存知で、ご自身が好みだった献立をいくつか挙げられ、「出来ますか?」と問われたので「勿論!」と受け、前菜のアボカドディップ、マサ(とうもろこしの生地)を小振りに成型して焼いたものに縁を付け、豆のペーストや煮たトマトのサルサを乗せたソペス、トルティージャのスープ、海老のガーリックオイル炒め、牛フィレ肉を帯状に広げて焼いたタンピコ風ステーキ等、終始ご満悦の表情で召し上がられた。「如何でした?」への返答は「TODO MUY RICO.PERFECTAMENTE!(全て美味しい、完璧だ!)」の賛辞を頂けた。後に知ることになるが、1955年、メキシコシティの国立音楽院で学び4年後のデビュー以降、メキシコシティに住居を構え今に至る彼に、今回のコンサートを手伝った日本人のスタッフ(常連の顧客)から推薦があったみたいである。「今度はここでPARTYをやりたいな」と大満足で帰られた。1ヶ月後、スペイン語で歌われたCD3枚が、サイン入りで感謝の言葉のカードと共に送られてきた。