メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第23章

強運!? 2度目の移店

今回は、現在の場所でのオープンに至るまでの経緯を振り返ってみたい。
結果的に8ヶ月の休業を余儀無くされた期間、再開を待ち望むたくさんの顧客の方々からの数々の助言に勇気をいただき、さらなる未来への希望を与えられていたが、見えない将来への不安を胸に、不動産屋を巡る毎日が続いていた。まだ携帯電話もパソコンも無い時代、ご紹介を受けた店舗の物件は、恵比寿、中目黒、広尾と近隣のものばかりで、どうしても代官山に固執していた私は乗り気にならなかった。しかし古くからの住宅街には、雨後の筍(たけのこ)のような現象は期待出来ず、微(かす)かな焦りも感じていた。数ヵ月後、吉報はご近所の方からだった。「知り合いの親が亡くなった。相続税支払いの為にテナントビルにするらしい。」早速出向いた先は、以前の店から徒歩5〜6分の距離、『同潤会(どうじゅんかい)アパート』を挟んだ裏手だった。願っても無いその候補地はまだ設計図面が出来たばかりで、一般に公募はされていなかったが、その日の内に契約を申し込んだ。街灯も無く、夜になると真っ暗でひっそりとした一角だったが、ラ・カシータの道程に一筋の光明を見い出せた瞬間だった。その後『代官山アドレス』の建設と共に、道路が広く整備され、ビルが建ち並ぶ一等地に変貌していくとは、この時はまだ知る由も無かった。

代官山の風情(ふぜい)を色濃く醸(かも)し出す『同潤会アパート』の側に恵まれた場所を確保出来た私は、旧山手通りの店のイメージに近い形の再現に強い思いを馳せていた。違法を知りながら、契約の坪数では足りない分の床面積の増築をビルのオーナーに哀願したり、設計者には申し訳なかったが、テラスを作るために壁を打(ぶ)ち抜く相談をするといった傍若無人の振舞を思い返せば、かなりの強情者だったようだ。熱意(?)は受諾され順調に工事が進む中、オーナーと間近の完成を祝い、2人で食事をする機会があった。その席で新築ビルの名称を聞かされた。「チェリー代官山にしようと思っている。」亡くなられたお父上が山形出身、果物屋を始めてサクランボで成功してこの土地を残してくれたとのこと。思いは理解出来るが、少し違和感があったので「スペイン語でチェリーは“セレサ”って言うんですよ。」と提案してみた。「いいね!いいね!響きがいいね。」と至極ご満悦で、こうしてビルの名前はセレサ代官山に決定した。好都合な事に代官山駅改装のためにすぐ横に駅が仮設され、オープンと同時に店の存在を知らしめる状況に繋がってゆく。建築段階から関与出来たおかげで、ほぼ理想通りの形で新たなるスタートを切る次第になったことは、自身の思い入れだけでは無く、何かしらの巡り合わせの運を感じている今である。