メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第25章

人々の記憶に残る味を

渋谷公園通りのラ・カシータは、1年半の短期間ながらも、思いの外(ほか)顧客の心に印象深く捉えられていたというエピソードがある。当時の客層を振り返ると、NHKの美術班のスタッフや寺山修司氏率いる劇団「天井桟敷」(てんじょうさじき)の団員の方々、桑沢デザイン研究所の教授や学生達など。時代の表現者の面々に、相通ずる何かを感じ取って貰(もら)っていたようだし、毎月のように受ける取材も、若者のアンテナ雑誌である「平凡パンチ」、「プレイボーイ」、「GORO」など。まだ見えない遥か未来へ向かって自分の思惑に準じた「時代の要求の波」に揺り動かされていた。当の私は無我夢中で、一瞬の時を走り抜けたくらいの記憶が断片的に残っているだけだが、2003年の夏、意外な事実を知ることになる。ファッション雑誌「GINZA」の特集、都内厳選15軒のメキシコ料理店の取材を終え、製本された紹介記事を閲覧している時だった。世田谷区桜新町の「トミ田ヤ」の店主のコメントに、最初はうどん屋になるはずだったが「今はなき渋谷のメキシコ料理店の味が忘れられない」との思いで、メニューにはケサディージャ等の軽食の他、メキシカンうどんも発案されたとあるではないか。表現の余波が生み出した影響の道程は、私にとって正に光栄の至りであった。

同じ年の秋、TBSの朝の番組「暮しの便利帖」の収録があり、家庭の冷蔵庫にある食材で作るメキシカンテイストの一皿を撮影している時だった。水抜きした豆腐をフリッターに仕上げ、青唐辛子を効かせたトマトソースに絡めた一品はディレクター女史の眼鏡にかない、放映の後、ご本人はすっかり我が店の献立の虜(とりこ)となって通う日々が続いていた。ある時「どうしても連れて来たい友達がいるんだけど、固辞されているのよ」と残念そうに話された。聞けば「稲川淳二って知ってるでしょ。彼が『自分が若い頃食べた公園通りのメキシコ料理店の味を超える店などあるはずが無い!』の一点張りなのよ」と。即座に蘇(よみがえ)る記憶があった。27年前、その頃、桑沢デザインの学生とともに彼はよく店に顔を見せていた。事情を説明してから一週間後、女史と共に来店した彼は、まるで同窓会の如く懐かしみ、味が変わらぬ事に驚き、浸(ひた)りきるほどに種々の料理を堪能してくれた。女史の面目躍如も然ることながら、時を超えて紡(つむ)がれる味の記憶の絆に万感胸に迫る思いであった。後日、彼はホームページ「心霊現象」のブログで店の存在を語り、新たなる客層を増やしてくれた。