メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第28章

メキシコ人をメキシコ料理で救え!

仕事柄、TVの料理関連ものはよく見るほうだ。1990年代の番組の一つに「愛の貧乏脱出大作戦」があった。ご記憶の方も多いと思うが、流行らない店の料理人を厳しい修行で教え込み、繁盛店に導く名番組である。怒鳴られたり、叩かれたり、余りの辛さに逃げ出しても、周りの適切な助言や本人の切実な嘆願で何とか這い上がり、ようやく達人のお墨付きを貰い、改装費も局持ちで再開した店は初日から多額の売り上げを示し、視聴者の感動を呼ぶラストシーンが定番だった。ある日の事、突然の出演依頼の連絡に私は戸惑いながらも、「ラ・カシータの厨房は和やかな雰囲気なので、番組の趣旨には適しません」とお断りした。2度目の電話も同様に「他の店でやって頂きたい」と申し上げた。しかし、どうしても渡辺さんにお願いしたいとしつこくかかって来るので訳を尋ねると、当人はメキシコ人で、しかも閉店に追い込まれている現状だと・・・。どこの誰だか知らないが、メキシコ料理の発展には由々しき事、持前の使命感が鎌首をもたげて来た。一度お話をお伺いしましょうと、後日、スタッフに見せられた彼が作るタコスやトスターダスの写真は、案じた通り、トルティージャも具材もサルサも、いかにも不味そうだった。その瞬間、奇妙な責任感に揺さぶられながら私は決断した。

動き始めた救出作戦の意見の一つで、チョリーソ(腸詰め)を希望したディレクターにある提案をした。本国と同じものは難しいので、出汁の旨味が出る3種類のメキシコ唐辛子とニンニクをそれぞれソーセージの叩いた肉に練り込んだ、独自の創作性があるものを作ろうと。清里高原にある専門の工場で調理修行を終えた彼が持ち帰った腸詰めは素晴らしい出来映えだった。彼の名はゴメス・ヘスース、愛する日本人の奥様と可愛い3人の娘の為に死ぬ気で頑張ると約束してくれて、収録は早朝7時からスタートした。大学の学生食堂での体験しか無い彼の包丁技術は未熟で、サルサやトルティージャの基本的な事から教えながら、数種類の定番料理と腸詰めを使ったオリジナルの一品が完成したのは、日付が変った朝の4時だった。営業しながらの指導は大変だったが、その間、カメラは止まらず、スタッフ一同の根気に感心した。試食で判断される本番のスタジオではゲスト達の評判も上々で、ブルーかオレンジの色で“まだまだ”か“もう大丈夫”と行く末を判定する参列者の意見も、全員一致のオレンジだった。店名を「パレンケ」と名付け再スタートした当日、それまで月商7万円くらいの売り上げがその日だけで14万円を数え、その月から毎月300万円以上を記録するようになった。後日談だが、関係者から番組史上初めて優しい指導だったと声が寄せられたと聞かされた。