メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第29章

メキシコ料理の巨匠を目指して

1993年、初夏の頃だった。料理番組としては現在も異例の長寿を誇る「チューボーですよ」のスタッフから出演依頼の連絡を受けた。お題は「牛肉のタコス」、心が弾んだ。初めてメキシコ料理に照準を合わせ着目してもらった事に感謝をしつつ、打ち合わせが進む中「他の店はいったいどこが選ばれたのだろう?」と少し気になっていた。複数のコーチが携わる形式の制作状況の下、店の名も、使われる食材の構成や味付けの組み立てに関してもお互いの店の情報は知らされずに、個別の店舗ずつロケが行なわれ、後のスタジオ収録時にも、どの店の方法がベストとされるかもいっさい明かされない。ある意味、テストを受けるような心境になっていた。撮影の当日を迎えると更に驚いたことに、照明、音声、カメラマン、リポーター達、それぞれ10人以上のスタッフが取り囲む状況で、調理指導のコメント、食材を扱う手元のアングル、カメラの位置等を細かく変え、丁寧に何度も繰り返す。サルサを作り、トルティージャの生地を練る。伸ばして焼き、炒めた牛肉を乗せる。普段なら30分もかからないことが、終了した時点で実に7時間を経過していた。一ヵ月後の放送を心待ちにして充足感に満ちた疲労を感じながら収録は無事完了した。

この番組では和食、中華、洋食、イタリアン等、歴代の名シェフ達がそれぞれの技を数多く披露してきたが、メキシコ料理業界にはどんな「街の巨匠」がいるのか?生意気なようだが、お手並み拝見とばかりに楽しみに放映を見た。他の店も基本に忠実に再現を試みているのだが、堺正章シェフが進行している手順は、そのままラ・カシータのレシピが取り入れられている。特にトルティージャを作る工程の部分では、他店を圧倒して我が店の厨房が取り上げられた。思わず嬉しくなった。自分はスタジオにはいないが、まるで共に作業しているような錯覚に陥(おちい)るほどだった。このまま進めば美味しさには確信が持てたが、もう一つの難関がある。ゲストが果たして幾つ星をくれるのか?堺シェフの技量とセンスに任せるしかない。判定の時が訪れた。ゲストの口からこぼれた言葉は「初めてタコスを食べたけど、こんなに美味しいとは思わなかった。三ツ星です!」。気がつけばTVの前でガッツポーズをしていた。その後、エンチラーダスや別種のタコスで2回出演する機会を与えられたが、両方とも他店の追随を許さず、店のレシピ通りに作業は進み、それぞれのゲスト判定も三ツ星だった。番組史上の記録ですと後に局から知らされた。