メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第32章

宮本美智子女史との出逢い

1976年7月にラ・カシータを開業して以来、マスコミュニケーションの取材攻勢に恵まれた時代を過ごして来たが、初期の頃はリポーターの思い込みに拠る勘違いで思わぬ記事になる事が多々あった。中でも印象的だったのは、1984年に刊行された文芸春秋社の「東京いい店、うまい店」に記載された原稿の冒頭に、“日本に『本当のメキシコ料理』をひろめようと決意した京都外大の卒業生四人組の一人、渡辺庸生の店”と紹介されたのである。確かにその当時、国内の数少ないメキシコ料理店の中で、神戸、大阪、京都に既存した他の三軒は交友関係のある京外大の先輩方が関わっていたが、お互いに示し合わせた事実はなかった。唯、このドラマチックな書き出しは余程インパクトがあったのか、一般のお客様だけに留まらず、当の文藝春秋社の出版局に携(たずさ)わる編集関連の方々に大挙来店して頂ける事態となり、正に「瓢箪(ひょうたん)から駒が出る」状況で、店は連日大盛況の日々を迎えてゆくこととなった。そんな頃、編集部が連れて来られた一人に、時の人、宮本美智子女史がいた。文才豊かな彼女は多岐にわたって執筆されていたが、ベストセラーとなった「ニューヨーク人間図鑑」は余りにも有名である。

人生のパートナーである日本有数のイラストレーター、永沢まこと氏の絵と共に綴られた前述の一冊は、活字であるにも係わらず、まるでライブ映像を見る感覚で捉えられる。因に1979年に出版されたこの本の中に初めて「エスニック」という単語が登場する。ニューヨークに10年滞在した宮本女史はメキシコ料理通として自認されてはいたが、有り難いことに、ラ・カシータに出会ってからは発見の連続だと感激し、幾度も来店する度にお仲間に自慢するようになり、ついにはメキシコに旅立つことになる。現地で食べ歩いて来られた後も、「メキシコも美味しいものがいっぱいあったけど、私はこの店の味がNo.1だと思う」と語ってくれた。ニューヨークにあるザ・ニュー・ミュージアム美術館の国際部長を勤める彼女は、アメリカの美術誌に数多く執筆しているが、機会があればラ・カシータのメキシコ料理の評論を書いてみたいな、とも言ってもらえた。10年程前に亡くなられたが、屈託の無い精神で生涯を全(まっと)うした彼女に敬意を表したい。
頂いたサイン入りの著書と永沢氏直筆のメキシコ闘牛場のスケッチは、今も大切に部屋に飾ってある。