メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第33章

完全アウェーの調理場

本国の伝統料理とTEX−MEXの違いの解釈については以前の原稿に記述したが、現実はまだまだ厳しいものがあると実感している。店を継続して35年の歳月(2011年8月現在)を数えるが、つい先日もアメリカやフランスの方々から立て続けにクレームをつけられた。ナチョスやブリトーが無い、タバスコを置いてない、料理が全然スパイシーじゃないと双方ともかなり気分を害して帰られた。首都パリにある既存の店もUSAスタイルらしい。日本人のお客様には丁寧にご説明すれば理解を得られるのだが、思い込みの強い外国の方は権利の主張が激しく、なかなかスムーズには進まない。旧山手に開店して7年も経った頃には、世界各国のお客様に支持され大盛況の毎日を過ごしていたが、それほどのトラブルは無かったと記憶している。おそらく、インターネットの情報検索が無い分、クチコミで味の評判が伝わり、顧客は期待感を胸に来店してくれていたはずである。とある日の事、長身のアメリカの男性からケータリングの話を持ちかけられた。自身が勤務するホテルで200人くらいの規模で計画していると。名刺の肩書を見て驚いた。山王ホテルマネージャーと記してあった。戦後、米国が管理する米国関係者の為の施設で、成田を通関せずとも横田基地から直接入国して宿泊出来る日本人入管御法度の場所。正に敵地ではないか。断ろうと思った。

だが、彼の「こんなに美味しいメキシコ料理を皆は知らない、だから是非作って頂きたい!」との執拗な願いに根負けした。天現寺の交差点から六本木方面へ向かった左側にあるそのホテルへ打ち合わせに訪れた私は、中の設備にまたもや驚かされる。映画館、ボーリング場、ショッピングセンター等、何もかもが揃っていた。料理長を紹介され、挨拶を交わし、いい機会だと思ってオーセンティックなメキシカンの実体を説明し、いっしょにやりましょうと協力を仰いでみた。意外に冷たい返事が帰ってきた。場所だけ提供するから勝手にやってくれと。初めての調理場、ましてや他人のもの、やりづらいことこの上ない。当日、スタッフ8人を引き連れ広い厨房の一角で仕込みを始めた私達に、無関心を装う現場は完全にアウェーの張り詰めた空気が流れていた。前菜・軽食・メイン料理とおよそ10品目の献立を順に会場に搬送し、盛り付けが終わろうとしていた頃だった。ふと振り返ると料理長が側にいた。「いい匂いだね、全部美味しそう」と声をかけられた。20才ぐらい年の違う若造がどれだけ偉そうにと思われていたみたいだが、そこは同じ調理人、仕上がった皿が全てを物語るのか、いきなり握手を求められた。こころの中に何とも云えない安堵感が広がっていった。