メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第35章

『どっちの料理ショー』調理指導

1990年代ほど、我国で料理人が持て囃(はや)された時代は無いのではないだろうか。TVの各局は早朝から深夜まで連日のように料理番組を放映し、ワイドショーやバラエティの枠にも特選コーナーを組み込むほどに視聴率を競っていた。こんな現象は世界でも例がないと、当時の取材で聞かされた覚えがある。思い起こせば学生の頃、アルバイトをしていた神戸のレストランのシェフに「将来は料理人になりたい」と夢を打ち明けたところ、厨房の職人全員に囲まれて、「バカなことを考えるな!」と一喝された。職業に貴賎の区別はないはずだが、この時代の調理人の社会的評価はまだ低い地位であった。大学まで行っているのにと、自分たちの給与明細まで見せて過酷な就労状況を話され、考え直すよう強く諭された。1970年の秋の出来事であった。あれから時代は流れ、まさかこんな世が訪れるとは、自分を思いやってくれた先輩達にも想像できないことだっただろう。90年代は、バブル経済が崩壊し企業の安定性が揺らぐ中、手に職を持つための各種専門学校が見直される風潮に変わっていた。その頃、絶大な人気を誇っていた日本テレビの料理番組『どっちの料理ショー』から出演要請の依頼が舞い込んだ。この番組は、似て非なる二つの料理を取り上げて、特選素材を軸に思い切り贅沢な皿に仕上げ、両方食してみたいが、どちらか一方にゲストの多数決で決まり、少数派はお腹を空かせたまま見守るという残酷な状況でラストを迎えるという、未練たっぷりの筋書きで毎回構成されていた。

品目は『生春巻き』vs『タコス』。スタジオでの調理人はエコール 辻 東京の教授達。大阪阿倍野に本校を持つ料理学校の東大とも称される辻調理師専門学校の東京本陣の要達である。自分の役割は、番組進行の中でタコスの醍醐味をアピールする『美味しい応援団』のロケ部分であったが、以前から一つ心に抱えているものがあり、どうしてもそれを言わずにはいられなかった。店の厨房で収録が進む中、制作スタッフにお願いしてみた。数年前の『太巻き寿司』vs『タコス』の放映の際、トルティージャもサルサもワカモーレも全然美味しそうじゃなく、納得のゆくものではなかった。一度教授達に会わせていただけないかと。数日後、スタッフと共に来店した担当教授にタコスを食してもらい、生地の重要性、唐辛子の的確な使用法、食材の成り立ち等を説き、王道のメキシコ料理の表現を真剣に嘆願していた。TEX-MEXに偏りがちな思考経路に一石を投じなければ、との思いに強く駆られていた。1時間も過ぎた頃、教授が口を開いた。「厨房でトルティージャの焼き方を教えてもらえませんか」。大変失礼な言い方だが、この時ほど相手が可愛く思えたことはない。放映当日、教授が作るタコスはいかにも美味しそうで、番組は最高潮の盛り上がりで終結した。