メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第36章

大学講師の要請

旭屋出版からの2冊目の依頼は当初、タコスとサルサだけを簡潔に纏(まと)めたい意向で編集会議が行われた。ページ割りの分類が進む中、胸の内に込み上げるものがあった。それは主食であるトルティージャを基点とした歴史的背景における地域性である。1冊目はメキシコ全般の代表料理を網羅した内容ではあったが、もう少し掘り下げて、一体?いつ頃からトウモロコシや唐辛子が出現し、どの地域でどんな種が根ざし、それぞれの集落に根付いたタコスの成り立ち、時代とともに変貌した具材の妙味、大地の恵みに培われた各々の食材の活用など、調べてみたい項目は山ほどあった。アメリカ穀物協会やメキシコ大使館を通じて農林水産省の資料をいただき、蔵書を軸に検証を追い求めた結果、近代の料理の一皿ごとの生い立ちが解明され、約一年の期間を要したが、充分満足のゆく専門書に仕上がった。その2ヶ月後、来店した妙齢の婦人から「渡辺さん、貴方良く勉強しているわね」と言葉をかけられた。黒田悦子と名乗る女性の身分を明かされて驚いた。国立民族学博物館の名誉教授の肩書き、東京大学のメキシコ民俗学の現役教授とある。同行のもう一人の教授に「貴方もこの本、買いなさい」と購入を勧めるくらい誉めていただけた。光栄、身に余る瞬間の出来事だった。

半年も過ぎた頃、その相手の教授から電話がかかってきた。何と授業をお願いしたいとの要望である。場所は共立女子大学・国際学部の本館。大学の特別講師の役割など思いも寄らないことだったが、弾む心で快諾した。当日は料理人への気遣いか、学部長らと近所の店でのランチも予約されていた。神保町のあたりはカレーの店が多く、その中でも漫画「美味しんぼ」にも登場した名店に案内された。美食の馳走を受けた午後、総勢67名の3年生の生徒、教授数名も加わった教室で講義が始まった。授業名は「国際文化特論—食文化を考える」。如何にも仰々しい表題だが、普段通り臆(おく)することなく話は進み、一人として睡眠をとる者がいないまま90分の時が過ぎた。チャイムが鳴ったので「これで終わります」と頭を下げた時だった。思いがけず全員から拍手がわき起こった。意外だった。数々の文化セミナーでは経験したが、まさか大学の授業で、、、、。嬉しかった。その気持ちが「ありがとう!、みんな、内定をもらえなかったり就職活動は大変だろうけど、今こそ自分の疼きに気付いて仕事を探してください」と励ましていた。再び大きな拍手に包まれた。感無量である。終了後、教授室に何人もが質問に訪れた。