メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第43章

『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』

ラ・カシータのお客様がお食事の後、それぞれに口にする言葉に象徴的なフレーズがある。通常、飲食店の帰り際は「美味しかった、また来ます」が常套句(じょうとうく)のはず。無論、自慢ではないが、殆どの来客がその状況である。唯、それに加えて常連の方々にとどまらず、新規の来店の際にも「何か元気になる!」を幾度となく耳にする。美味しいものを食すれば、確かに感動もあれば身体も喜ぶ。充足した満足感に浸る幸福もあろうかと思う。だが、時の経過に伴い、年齢に応じて好みも変われば、同じ味に飽きたりもするのが本来の解釈であろう。30年以上の顧客たちが何度もそう感じるのは一体何故だろう? 料理の中に精力剤などを混入しているわけでもないし、食材の味付けは塩のみで調理する基本は、先住民伝来の姿であり、真相はずっと謎のままであった。
2003年の初春の頃だった。テラス席で盛り上がっていた6人グループの一人が話しかけてきた。「全部美味しいですね。都内で一番だと思いますよ」悪い気はしなかった。何軒か食べ歩いた中で誉めて貰えるのはいつも嬉しいものである。ニューヨーク帰りだというその大柄な青年が意外なことを話し始めた。「僕、今秋にメキシコ料理の小説を出版するんですよ。タイトルは『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』です」。

彼の正体はドリアン助川の名でバンド活動や執筆、ラジオ、TV、朝日新聞紙面での人生相談など、多方面で活躍している実力者だった。彼の話によると、我が国の深刻な現況である鬱病と自殺の問題を追いかけるうちに、メキシコ料理に行き着き、3年間のニューヨーク滞在中にそれを軸に書き上げた小説だと、簡単に説明してくれただけでその日は別れた。訳が分からなかったが「メキシコ料理は鬱にならない」と聞かされて、楽しい予感がしていた。
後日、出版を控えて再度来店した彼は、自殺率の現状を話し始め、WHOの統計で世界第2位だと発表されている日本はたぶんウソの報告をしていて、ロシアを抜いて1位であろう。これだけの裕福な国の人々がなぜ追い詰められていくのだろう。その点、メキシコは所得も低く、アメリカからは差別と酷い待遇を受けながら、最下位の率である。そして日々の食事ではないのかと仮説を立て、調べる中でナス科のトマトや唐辛子、インゲン豆の成分に気持ちを高揚させる要素があるらしいと確信したと。話し終えた彼が手にしていた発売間近の本には、44歳・薄毛・とてつもなく冴えない男(料理人)が人類を救う旅に出るストーリーが、メキシコを舞台に展開していた。出版後、大反響を呼んだこの本による講演会やTV出演の度に、彼はラ・カシータの料理を常に側に置き、真摯な態度で講釈をしてくれた。