メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第47章

生涯料理人を決定づけた“PALL MALL”

昭和の時代に名を馳せた神戸のレストラン“PALL MALL”。今尚、語り継がれる味の記憶の存在感は、当時の名声の程を伺(うかが)わせる。偶然か必然か、はたまた宿命なのか、学生時代に遭遇したこの店での就労体験が、私の人生を決定づけたのである。外国人クラブの異人館で行われるパーティや、日々のダイニングの調理を陣頭指揮していた西山シェフの辣腕(らつわん)ぶりは、関西在住の富裕層や著名人達に広く知られ、彼らの舌をうならせていた。思い起こせば、西洋料理のソースを作りだす土台のフォン、それを発展させた基盤のエスパニョール、そして、ドミ・グラスなど、彼の仕事は徹底して際立っていた。さらに肉や魚、野菜類の目利きも厳しく、特に地元ならではの牛フィレやロースに関しては、配達された部位の取り替えを業者に命じるほど食材に精通していた。その頃の私はその凄さにも気付かず、与えられた仕事をこなすだけだったが、何時間もかかるソース仕込の工程の順ごとに、今の味、こうなった味、そしてこうなる味と丁寧に解説を交えて指導してくれていた。ベシャメルやドレッシングなどの配合や組み立て、献立の味覚を左右する食材への熱の加え方、全てに於いての成り立ちが、ホテルの厨房で見聞きしたものとは違っていた。西山さんが提供する港町神戸に根差した洋食は、美味しいだけではなく、感動、発見、そして、喜びに溢れた一品に仕上がっていたのである。

将来を危惧して心配してくれていた周りの職人達も、本国でのメキシコ料理修業を志した私に興味を覚え、何かと応援する気持ちに変わっていた。店での調理技術も然ることながら、和食や中華、ギリシャ料理など、友人の調理人達に声をかけて、それぞれの料理場を見学できるように計らってくれたのである。当時は海外旅行も儘(まま)ならない時代、況(ま)してやメキシコ事情に疎(うと)いのは仕方の無い現実で、まるで未開の地へ日本選抜の料理人を送り込むかの如く、支援の心情で接してくれたと記憶している。顧客達の反応も温かかった。自分達の身の回りで海外体験を持つ人の話を伝え聞いては、細やかに教えてくれたり(全くメキシコとは関係なかったりするのだが…)、あるデパートの売り場課長などは、展示品だからと云って、大きな旅行用トランクを無償で与えてくれた。こうして大勢の人々のご厚意に支えられながら時は過ぎ、いよいよ出発の日が近づいた。最後の仕事の夜、閉店後、感謝の気持ちを述べて帰ろうとした時のことだった。シェフを筆頭に職人が揃い、早番や休みの日であるはずのスタッフも含め、店総動員の送別会が企画されていた。食卓には賄いで自分が大好きだった調理が何品も並び、カンパを募ったのか、全員からの餞別が用意されていた。涙が止まらなかった。その時シェフから頂いた名工の筋引き包丁は今も大切にしている。