メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第48章

著名な表現者たちとの遭遇

メキシコ大使館のAnibal上原氏に紹介された赤坂のナイトクラブ『AMBE(アンベ)』は、巷では名の知れた一流のライヴハウスだった。経営者は『コモエスタ赤坂』のヒット曲で大ブレークしたグループ『ロス・インディオス』の元リーダ萩原節氏。上原氏のメキシコ留学時代の友人である。彼が率いるメンバーたちで奏でる生演奏がこの店の一番の魅力だった。甘い歌声、情感溢れるコーラスと楽器のハーモニーは、多くのファンの心を魅了していた。顧客には菅原洋一氏やグラシェラ・スサーナ、加藤登紀子さんなどのミュージシャンたち。ロッキード事件で世間の注目を集めた国際興業の社主やその婦人、俳優の竜雷太氏や石原軍団、新国劇の島田正吾氏、作家の戸川昌子氏、その他経済界の重鎮や外務省の官僚など、枚挙に暇がないが、その顔ぶれは多彩を極めていた。ラテン音楽の店としてメキシコ料理を看板にはしていたが、顧客たちが注文するのは、御新香やイカのホイル焼き、鶏の唐揚げなどの定番メニュー。過去の名残(Tex-Mex)を排除して、新たに仕込んだサルサや本国料理は殆ど相手にされなかった。あれこれ手を変え品を変え挑戦してみたが結果は同じだった。余りの散々たる様に反抗して、御新香を平皿にオードブル風に盛り付けて提供してみたが、見事に突き返されてきた。

そんな気概のある振る舞いが面白がられたのか、上記の顧客たちは私を席に呼び、話を聞いてくれるようになった。一人で孤独な厨房にいるよりはましと、ギターの弾き語りを披露したり、お酒を付き合いながら、信じては貰えぬ大きな夢を語っていた。意気を感じ取ってくれたのは、やはり音楽に携わる者や、俳優、物書きなどの時代の表現者たち。後にラ・カシータの象徴として知れ渡るデザインをプレゼントしていただくことになるイラストレーターの故秋葉洋氏には、来店の度に「夢は遂行するものだ!」と力強く何度も励まされた。今更ながらにご冥福をお祈りしたい。お堅い立場の銀行や政府筋の役員も「君はユニークだね、頑張れ」と料理は口にしないままに、私の未来への展望だけは理解してくれた。振り返れば、この頃はオーセンティックなメキシコ料理への期待感はゼロに等しかったが、様々な人々との出会いが自分の信念の拠所になっていたような気がする。ある日のこと、一本の電話がかかってきた。「こちら、ゼンカマレン(?)と申しますが。」この件が後に意外な展開となっていくとは、この時はまだ知る由もなかった。