メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第51章

頑なな心を氷解させた向かいの店からの提言

1976年夏、食材(唐辛子やチーズなど)の調達も解決し、何とか開業にこぎ着けた公園通りの店だったが、最大の問題が勃発していた。手配していたMASA(とうもろこし粉)が船便の遅れで二ヶ月先まで届かないとのこと。由々しき事態である。和食屋に米が無いのと同じ状況に途方に暮れてしまった。しかし開業を遅らせるわけにはいかない。悩んだ末の結論は、メキシカンライスと一品料理で乗り切ろうとスタッフを鼓舞しながら、何とかなると思い込んでいた。だが現実はそんなに甘いものではなかった。客が来ないのである。タコスも無いメキシコ料理屋、況してや味の想像もつかないアラカルトの表示には誰も振り向いてはくれなかった。真向かいに『チャーリーハウス』という名の香港ラーメンの名店があった。10人も入れば満席になるカウンターだけの店だったが、昼時も夕暮れ時も行列が絶えない大繁盛店である。骨付きの鶏肉を使った澄んだ上湯スープに細麺、トッピングはせずに、豚肉にカレー風味を付けて揚げたものや蒸し鶏、香味ネギなどの具材はそれぞれ小皿盛りで盆にのせ、アクセントに豆腐を塩漬けにして発酵させた醤豆腐が必ず付いてくる。まさに寸分の隙も無い、この店ならではの上品で完璧な仕立てだった。ある日のこと、オーナー夫人と厨房の職人が来店してくれた。

向かいだったから気になったのか、挨拶もそこそこにお薦めメニューを調理し、食文化の解説も交えながら話をしている時だった。「渡辺さん、海老も鶏も肉も全て美味しいわ。この味をベースに賄える食材でランチをやってみたら? 大丈夫よ、頑張りなさい!」と、突然、提案してくれたのである。頑なに本国に忠実な表現だけをと突っ張っていた思いが氷解し、実現に向けて構想がスタートした。当時のランチは、ハンバーグや豚肉の生姜焼き定食、ナポリタンやミートソースのスパゲッティが定番。まだパスタという単語も使われていない時代であった。他に無い独自のものをと考えたのは、豚肉の一枚肉に粉をはたいて焼き色を付け、白ワインでフランベし、青唐辛子風味のトマトソースをあしらったものや、若鶏のもも肉にカレー風味のベシャメルを絡めた一品など。それらをミニサラダとコーヒー付きで提供してみた。見本の皿を入り口に展示したところ、行列の人々が目に留めてくれるようになり、ポツリポツリと浸透していった。未体験の味に感動してくれた彼らが、やがて夜の来訪にも繋がり、本来のメキシコ料理に興味を抱く顧客たちとして定着していくこととなった。『Charlie House』、現在は閉店して存在しないが、あの時の一言は心に滲みて今も残っている。