メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第52章

神奈川大学『西風会』

ラ・カシータが歩んできた足跡の中には、その時折の様々な恵まれた出会いと共に前進出来た事柄が数多く存在している。それが今日まで継続出来ている所以なのだが、オープン当初に関わった学生たちの出現も重要な意義があった。それは公園通りに店を構えて間もない秋の頃だった。訪ねてきた神奈川大生と名乗る二人の男は「学祭でタコスを売りたいので材料を分けて貰えませんか。」と徐に話を切り出した。当時、神奈川大学にはスペイン語学科の有志達がメキシコを研究するサークル『西風会』を発足していて、彼らはその同好会の部長と副部長だった。よくぞ思い立ってくれたと嬉しくなったが、相手には大きな勘違いがあった。店が扱っているトルティージャもサルサも既製のもので、簡単に購入出来ると思い込んでいたのである。その時代の世間の認識からすれば致し方の無い状況だったのだが、せっかくだからと厨房に案内し、タコスやサルサが完成するまでの行程を実演して見せた。初めて実態を目にした彼らは感動し、興奮していた。学祭の模擬店であってもやるならこの調理でと進言してみた。「是非、これで!」と熱望された次の日から、午後の合間を縫って彼らと数名の部員達に特訓が始まった。純粋にメキシコを学ぼうとするサークルの目的に連動した意識は、とても素人とは思えない直向きさで技術を会得し、その年の催しは大成功を収めた。

慕ってくれた『西風会』の面々に本講の学内での講義を要望されたり、頼みもしないのにボランティアのように店を手伝ってくれたりと、交流は深まっていった。代官山に移転した頃からはアルバイトの志願者が引きも切らず、募集に苦慮したことは一度も無かった。労働報酬で貯めたお金でメキシコや中南米に貧乏旅行に出かけた際には、葉書で現地の食事情を小まめに報告し、帰国後は何枚ものリポートをまとめて提出するといった具合で、レストランというよりはまるでアカデミーのような空気が流れていた。彼らの献身的で多大なる協力のお陰で、今の私があると言っても過言では無い。原書を訳す分担を担ってくれた日々も懐かしく思い出される。企業に就職していったそれぞれの有志達は現在役職を抱えて、アジア、ヨーロッパ、中米等で奔走しているが、帰国の度に、まるで学生時代に戻ったかのように無邪気な態度で挨拶に訪れてくれる。先日、神奈川大学外国語学部教授の青木康征氏が来店された。あまり面識は無かったが「あの頃、学生達を指導してくれてありがとう!」と言葉をかけられ、著書『南米ポトシ銀山』をプレゼントされた。頂いたサインの部分には“伝説の店 ラ・カシータにまたお邪魔しています 渡辺庸生様”と記されていた。