メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第54章

ガイドブックからの執筆依頼

渋谷公園通りに狭いながらも表現の場を確保できた現実は、私自身の切望を大きく前進させる方向へ歩み始める切っ掛けとなっていた。1970年代は国内旅行が主で、海外、況してや中南米などインディアンが住んでいるくらいに思われていた時代である。メキシコの食文化や料理の真髄を伝えたくとも、興味本位の取材ばかりで、本気で探索する姿勢などまるでなかった。そんな折、メキシコ政府観光審議会主査の立川氏から原稿の依頼が入った。氏は局長のアドルフォ・船場氏と共に何度も来店されていた常連客である。メキシコ旅行を誘発する糸口として、本国の料理の魅力と独創性を簡潔に理解できる日本語の小冊子を制作して、各旅行代理店に配布したいとの提案は、当時の自分にとっては願ってもない話だった。枚数に限りはあったが、代表的な前菜・軽食・伝統料理をまとめて提出したパンフレットは、近畿日本ツーリストなどで話題になり、団体旅行の企画が実現した。少しずつではあったが、情勢が動き始めた中で、日頃から気になっていた思いを立川氏にぶつけてみた。それは、ツアーに同行する添乗員達の料理知識向上と美味しい店をガイドできる精鋭達を育成する講習会。実際にラ・カシータで食事を摂りながら教育をするというのは如何でしょう?と。この発案に彼は力強く私の手を握り、賛同してくれた。

時は流れ、代官山に移転して2年も経った頃、国内旅行代理店20社、総勢40名を集結させたゼミナールが実現した。評判は上々で、しばらくして顧客である旅行作家の川井恵美子女史から「今度、ダイヤモンド社の『地球の歩き方 メキシコ・中米』の改訂版を担当するんだけど、料理部分は渡辺さん、貴方が執筆してくれない?」との依頼があった。快諾したが、来訪された編集長は4ページでお願いしますと話し始めた。その頃の他のガイドブックの料理解説が2〜3ページという状況だったので、これで充分だと判断されたのだと思ったが、何千年も培われてきた知られざるメキシコの食文化を語るには100ページでも足りない。意を決して、稿料は4ページ分で結構です。せめて10ページ貰えないかと切願していた。旅行ガイドブックの慣例を打破しなければとの強い思いが全身を支配していた。正念場だった。しばらくして編集長の口から「お任せします」の一言がこぼれた瞬間は、閉じられていた時代の扉をこじ開けたかのような妙な安堵感に包まれたのを覚えている。メキシコ全土に育まれた食の長い歴史の道程は、とても簡略してガイドできるものではないが、全体像が垣間見える仕上がりの原稿に作成することができた。あれから数年ごとに改訂を重ね、30年が経過したが、多くの方々から「何処何処の街ではどの店で何を食べれば?」と、頻繁に相談を受けるようになった。