メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第55章

上智大学での講義経験

メキシコに侵攻したスペイン人のエルナン・コルテス一行が、異国人として初めてアステカ王国の都テノチティトランに入場した1519年11月8日、湖上にそびえるすべて石造りの巨大な楼閣、神殿などの建造物を目の辺りにして驚嘆したと伝えられている。同行した年代記作者ベルナル・ディアスの記述によると、中心地トラテロルコの市場には、金、銀、銅、錫、真珠などの様々な金属や石、骨、亀甲、貝、羽毛などでつくられた装飾品が売られており、食料としては鶏、ウズラ、野鴨、キジ、鳩、オウム、鷲などの鳥類、肉類には野兎、鹿、食用に去勢して飼育された小型犬、野菜類も豊富でトマト、タマネギ、ニンニク、多種の唐辛子類、ネギの一種リーキ、アザミ、カボチャの類い、名称もわからない数種の植物なども見られる。感嘆したのは、新鮮な魚や塩漬けのもの、調理された海の幸、それらと共にとうもろこしの粒やトルティージャ、鶏やガチョウの卵が多量に、しかも良質な状態で売買されている。と、本国スペインに報告した記録が残っている。数千年の時を経て培われた狩猟と農耕村落の歴史、民衆の生活体系を基に築かれた王国の絶大な支配力は、その2年後に消滅してしまう。しかし征服された新大陸からヨーロッパに伝来された食材達は各地で逞しく生き延び、全世界にその名を知らしめていくのである。

旧山手通りに店を構えた年(1978)の夏の頃、真面目そうな一人の男が来訪した。「あなたが庸生さんですか!」と、いきなり名指しで握手を求められた。聞けば、自分がメキシコに滞在していた時期に住んでいた部屋に偶然、前後して入居したら、家主から毎日のように私の話を散々聞かされた由、日本に帰国したら一度お会いしたかったとAbrazo(ハグ)の連続である。手渡された名刺の肩書きには、上智大学国際学部メキシコ人類学教授、高山智博とある。日本有数のアステカ文明研究者であった。本国のイベロアメリカ大学で教鞭を執るメキシコ人類学の長老、ウィグベルト・ヒメネス・モレノ教授の下で1960年から学んでいて、訪墨の目的もアステカに関する史料を読破するために1年間過ごしていたとのこと。この巡り会いには驚いたが、それ以来先生は奥様と何度も店を訪れるようになり、その度にメキシコ食文化の知識を披露したい私の講釈に付き合っていただいた。数年経ったある日のこと、「うちの大学で授業をしてみますか?」と持ちかけられた。思い返せば、その頃は現在ほどの知識に追いついてはいなかったが、若気の至りか、逸る気持ちを抑えることはできなかった。そして当日、四谷の本館の一室で86人の聴講生を前に2時間の「メキシコ食文化論」を敢行した。夢中で講義し、気が付けば全員の大拍手で我に返った状況だった。後で録音を聞くと、黒板をチョークでカンカン叩く音ばかりが耳障りに鳴り響いていた。世間知らずの私が救われたのは、高山教授からの「よく勉強してますね〜」の一言だった。