メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第59章

初めての料理教室

渋谷公園通りにオープンして一年が過ぎた夏の頃だった。近所の小さな企画会社から料理教室の依頼が舞い込んだ。この教室は、文化全域において、これからの未来を予測させるカルチャーを提案するというコンセプトで考えていますと、担当者は意気込んでいた。常日頃からもどかしく感じていた世間のメキシコ料理に対する偏った概念を払拭させるには、絶好のチャンスだった。さらに『壁の穴』のシェフとカップリングで如何でしょうか?と持ちかけられた。光栄に思った。後にスパゲッティの革命店と称される『壁の穴』は、当時から連日行列が絶えないほど、その将来を約束されていた。そんな名店と肩を並べて歩いて行ける評価に心は躍り、ちゃんと役割を果たせるだろうかと少し戸惑いながらも承諾した。いつも思い描いていた自身の望みが、また一つ現実になる。その現場が待ち遠しかった。2ヵ月後、担当者が来店し、沈痛な面持ちで、申込者は「0」です。と報告された。悔しさと残念な気持ちが入り交じってしばらく唖然と佇んでいた。因みに相手はすぐに定員オーバーと聞かされた。この結果を受け止めて、いつの日か、受講の要望が高まり、教壇に立つ願いを我が身に課しますと、申し訳なさそうに謝る彼を逆に慰めていた。メキシコ料理を作ってみたいと誘惑される世の中を現実のものとするには、その美味しさに気付かせることが先決と、メニューの拡大を考えていた。

代官山旧山手通りに30坪の面積を確保できた当初、設計段階で10坪の部分を厨房に当てはめた。ホテルや旅館はともかく、町場の店はできるだけ客席を重視し、調理場は狭いのが常識とされた風潮だったが、以前より3倍の献立が構成可能になり、徐々に味のバリエーションが浸透していく次第となった。その頃はメキシコ大使館の方々もよく来られていて、現地の唐辛子を手土産にいただいたり、それぞれの商社の面々も協力体制を取ってくれた。香菜などはプランターに種を植え、夏には提供できていた。いつかの原稿にも触れたが、酒類は最小限しか置かず、食事主体の半ば強引な運営状況は反発を呼ぶより(呼んでいた?)注目を浴び、顧客達は食に没頭していった。メディアの取材も増え、口コミで広がった味の評判は、有り難いことに真冬でも外に10人〜15人の列ができるほどの人気店となった。そんな折、新宿の辻クッキングから講師依頼が来た。現在の表現で云うリベンジなんて気持ちはさらさらなかった。それより、ようやく世間の目が向いてくれたという喜びの方が大きかった。当日、教室に伺い、12人の生徒さん達にサルサやトルティージャの調理を指導している自分が、まるで夢を見ているような感覚に陥ったのを今でも鮮明に覚えている。そして、この出来事が更なる事態へ進展していく。