メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第66章

トリオ・ロス・パンチョスとの巡り合わせ

我が国にメキシコ文化を意識させる切っ掛けとなったのは、1959年(昭和34年)に来日したトリオ・ロス・パンチョスの歌声であろう。ニューヨーク・カーネギーホールでの成功を機に世界に名を知らしめたこのトリオの魅力は、メンバーのアルフレード・ヒルが考案したレキント(普通のギターより5度高く調弦されている小型ギター)が醸し出す明るく澄みきった音色と抜群のハーモニー。瞬く間に日本の音楽関係者はこのグループの虜となった。ベサメ・ムーチョやラ・マラゲーニャのヒット曲は一度は耳にしたことがあるはず。彼らの模倣をするミュージシャンが激増し、全国のクラブやバーではメキシコ音楽のライブ演奏に客たちが酔いしれる中、メニューもメキシカンで提供する店が出現してきた。1965〜6年頃のことである。以前の原稿でも触れたが、残念なのはテキストに選ばれたのが英語の本だったこと。渡墨前に仕事をしていた神戸の店も例外ではなく、生演奏とともに出される皿はすべてTEX-MEXスタイルで構成されていた。食事はともかく、業界も一目置くオーナーの音楽性の評価は高く、パンチョスのみならず、来日したトリオのデルフィネス(Trio Los Delfines)、ディアマンテス(Les Tres Diamantes)やロス・インディオスなど、メキシコラテン音楽の巨匠たちは神戸で公演がある度に訪れ、店で寛いでいた。

1998年の初夏の頃であった。高齢のため、最後の来日公演になるかもしれないパンチョスの興行元から電話があり、ジャパンツアーパンフレットの見開き全ページにメキシコ料理を称える原稿を書いていただきたいとの依頼であった。これも何かの縁であろうか。彼らと共に前述の歴史的定説を覆せる機会を与えてもらえるとは感無量であった。凡そ3500字の制限枠の中にどれだけ詰め込めるだろう? 一ヶ月後の〆切り日に向かって燃えに燃えまくった。先住民のインディオ達が培ってきた7000年の食文化が、近代にどれほどの彩りを施しているのか、その歴史的背景に基づく地域性を網羅した献立類の原稿を書き終えた時、頭に過ぎったタイトルは『メキシコ料理 美味礼賛』であった。18世紀のフランスの食通ブリア=サヴァランには申し訳ないが、同等に値する味覚がこの国にもある。同年7月4日(奇しくもラ・カシータ創立日)東京厚生年金会館でのライブに招待され、衰えを知らぬ見事な歌声と演奏を満喫した。終演後、すぐ楽屋に呼ばれ、通訳からパンフの内容を聞かされていたメンバー全員から「ブラボー!」と賞賛の声とともにハグされた。30年以上の時を要したが、まさかこんな形で彼らと遭遇するとは、巡り合わせの不思議さに感謝したその日の夜だった。