メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第70章

東ハトのアバネロ戦略

メキシコ料理には欠かせない唐辛子の類は、本国でも各地域で姿や辛味・持ち味は異なり、その数は100種を超える。それらが駆使された各々の皿は実に独創的で、それぞれに味わい深いものがある。近年、我が国でもハラペーニョやアバネロ(ハバネロ)の名は一般に通用する状況が生まれてきているが、まだ本来の活用までには至っていない。製菓メーカーの社員が訪ねてきたのは、2000年が明けた頃。新商品の開発中で、アバネロについてレクチャーして頂きたいとの依頼だった。話を聞くと、「会社は倒産寸前でこの企画に全てを掛けています。社でアイデアが出たのは画期的ですが、現地のものを食べたことがないので」と真剣な面持ちで話された。残念ながら手元にフレッシュは無かったが、瓶詰めのもので形状を示し、辛さの特徴、緑や赤、黄色、オレンジ色といった多彩な顔ぶれ、さらに香り高く、肉厚で果肉の旨味と甘味を兼ね備えた個性豊かなチレです。と説明すると、笑みを浮かべて「ありがとうございます。早速チームを編成します」と勇んで帰られた。その後、何度かミーティングを重ねるうちに、担当者に現地行きを勧めてみた。マヤの聖地、ユカタンに根付くアバネロは途轍もなく強烈で、特に網で焼くと怒り狂ったように手がつけられなくなる。その香りや味覚の魅力は現地でしか味わえない。メリダ近郊の風土に育まれたチレの生きる証。ぜひ、その身体で体感して新商品に挑戦して欲しいと懇願していた。

2ヶ月後、一週間のアバネロ査察から帰国した10余名の食事会が店で行われた。手土産は盛り沢山のフレッシュアバネロ。久しぶりに遭遇するそれらは、当地の香り満載の正真正銘メキシコのチレだった。中でも一番の辛味を持つレッドサビナは逸物で、調理して提供すると、その美味しさとともに全身の神経が覚醒する刺激に奇声が飛び交い、賑わいの夜が過ぎて行った。こうして発売された「暴君ハバネロ」は大ヒットとなり、その後、各メーカーとのコラボでカレーやラーメン、七味など、アバネロの名称は世間に浸透していく運びとなる。一方、ハラペーニョも20年くらい前に、某バーガー店が試作したが、缶詰のものが美味しく無くいつの間にか消えていた。美味しい辛さに気付いたこの頃、提供者もアメリカでは無く、メキシコの缶詰を選ぶようになり、デリバリーのピッツアに使われて以来、各ハンバーガー店にも多用され、近年ではサルサにしてサルサバーガーもその名が定着してきた。食文化は米国からのスタイルから逃れようもないが、味に執着する日本人の国民性が提供する側の意識を変えた例であろう。ラ・カシータを開業してから、唐辛子が辛いだけではなく、個別の美味しさがある証明に奔走してきたが、上記の2種が切っ掛けで、徐々にメキシコ・チレの持ち味に興味が持たれる現況となった。これでフレッシュなチレ類があればもっと感動があるのにと考えたが、やはりこの国の気候ではハウス栽培くらいしか無理だろうと諦めていた。何と、5年後に救世主が現れる。