メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第71章

京都、亀岡で育つ唐辛子

日本には世界に誇れる美しい四季がある。季節毎に訪れる風景は行楽の期待を誘い、時節の産物の類は私たちの食卓を彩り豊かな景色で楽しませてくれる。しかしメキシコ生まれの唐辛子たちにとっては、この慌ただしい一年が苦手なようで、なんとか夏だけ実を結ぼうとするが、厄介なことに彼らは高原育ち。低地ではなかなか思うように成熟できない。我が国で唐辛子への関心が高まってきた2004年頃、各地の生産業者からハラペーニョの試作品を店に送ってくれる機会が増えてはいたが、本国のそれには程遠いもので、中には熱帯の温度管理ハウスで育成したものもあった。申し訳ないが、人間も四六時中ヒーターのきいた部屋に居れば、心地よいが身体はおかしくなる。勿論、この国にも伏見の万願寺や新潟の神楽南蛮のように名の知れた唐辛子はある。だが、その土地に馴染んだだけで本来の生き様を晒してはいない。そんな性質を見抜いていたのか、’99年頃からアバネロ(ハバネロ)の栽培を始めた男が京都の亀岡に居た。元々は伝統の京野菜を手掛けていたが、商売の特色を出すため、日本に無い新顔野菜に着目した。中南米やインド、中国等、世界の唐辛子の生産に乗り出したのもこの頃だった。当初は全く売れずに困惑していたが、スナック菓子「暴君ハバネロ」が大ヒット。激辛ブームが起こり、にわかに注目されだした。情報を得た私は即、連絡を入れた。送られてきた唐辛子の類は傑作だった。

京都の夏、亀岡や丹波町の山間部に吹く風、温度、湿度、土壌が、育成するそれらの香、辛味、持ち味の旨味は、本国のものと遜色無く、感想を述べる電話を直接本人にかけた時だった。「私、シェフの本も持っています。日本一のメキシコ料理店で使ってもらえるなんて光栄です。」と意外な言葉が返ってきた。少々、照れ臭かったが、現物の素晴らしさは想像を超えていて、顧客に感動していただくには充分の成熟度、これこそ大感謝である。フレッシュを切望していた私には正に救いの神。同じ関西人同士ということも相まって、しばらくお互いがそれぞれを褒め合うコントのような会話が続いていた。あれから約10年、新鮮なアバネロやハラペーニョは夏から秋のはじめ頃まで定番となり、店の献立だけでなく、教室の創作メニューにも貢献している。辛味と云えば一味や既製品の瓶詰めソースと認識されているこの国に、針の穴ほどではあるが、本物の一石を投じた実績は多大なものがある。これから調理の表現者たちがこれらを如何に応用、活用していくかに唐辛子の道程が決まってくる。美味しい辛さに気づいたら、それを逃す術はないと料理人なら思うはず。メーカーや調理場が勘違いしている辛さが、食材を理解することで改められる絶好の機会が訪れようとしているのは、この男のおかげ。現在、地元の契約農家で年間200万個のアバネロの実を生産するが、注文に追いつかないと聞いている。過疎と高齢化に悩む限界集落の農家を救った彼の名は高田成(みのる)。今、飲食業界から最も注目されている。