メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第73章

メキシコ大使館主催 料理講習会

私が調理を志した1970年代の日本はフレンチが主流だったが、1990年あたりから少しずつイタリアンの店が増え、西洋料理界も様相が変わってきた。正確な数は把握していないが、現在(2015年)イタリア料理の調理人はおそらく10万人を超えているだろう。これだけの表現者がその食文化を目の当たりに見せつければ、認識は浸透し、パスタやピッツアの生地は市販品の乾麺や冷凍物ではなく、自ら練るのが常識となった。残念ながらトルティージャに関してはまだその意識に届いていない。メキシコ料理店の件数は年々増えてはいるが、しっかり焼いている現場は指折り数えるほどである。全国で400軒に満たない現状を察すると、イタリアンに追い付くには、この先50~100年の歳月を要するはず。そして、いつの日かTEX-MEXではなく本国の独創性に気づくだろうと奮闘してきた。2010年の初冬の頃である。吉報が世界に発信された。ユネスコ世界無形文化遺産にメキシコ料理がフランス料理と共に登録されたのである。飲食に携わる人々にとってビッグニュースになるはずだったが、この国のメディアは当初、NHKをはじめ各局もフレンチしか取り上げなかった。大いに憤りを覚えたが、マスメディアとはそんなものかと呆れていた。それから1年余りが過ぎた頃、メキシコ大使館商務部から「ワークショップセミナーを計画しています。是非、お会いしたい」と連絡が来た。

後日、来店した2名の参事官は登録を機に「メキシコ伝統料理の基本」を講習していただきたいと熱い口調で依頼してきた。場所は汐留にある東京ガス業務用厨房ショールーム。日本屈指の調理場である。断る理由はなかった。公募の結果、定員30名は即埋まったが、熱望される方々が居て、結局40名に増えた。心待ちにしていた当日朝7時、迎えの車に食材、用具を積み込んで出発。調理補助のシェフ数名と挨拶を交わし、受講者の名簿をチェックした時だった。驚いた。そこには一流ホテルのシェフたち、料理教室の経営者、某ファミリーレストランの統括料理長と料理長、企業の食品開発部や商品企画部、そして近郊の各同業者の幹部達等々と、一般人は数えるほどだった。これだけのプロが揃う現場は初体験だったが、持てる力を存分に発揮できればと奮起して、トウモロコシの歴史や唐辛子の個性、サルサの定義や先住民の食文化など3時間の講義と実習をやり終えた時、全員から盛大な拍手が沸き起こった。質疑応答も関心度の高い質問ばかりで充足感溢れるひと時を楽しませてもらった。補助のシェフたちからも「こんなに楽しい教室は初めてです」と握手を求められていた。僅かでも未来へ繋がる役割を果たせたのかなと感じた一日だった。数週間後、聴講したホテルの統括料理長が部下を連れて来店され、今後、うちのダイニングでもメキシカンを検討したいと興味津々の様子で、それぞれの料理を吟味されていた。