メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第80章

牛フィレステーキ 強引な賭け

メキシコ北部ソラノ州、ここで生産される牛肉はメキシコ国内でも定評があり、特にArrachera(アラチェラ)と呼ばれるハラミ肉の、ステーキや網焼きに人気が集中している。勿論、すべての部位が様々なレシピで調理されてゆくのだが、本国に限らず海外では赤身肉の方が好まれているようだ。最上級の柔らかい霜降り肉が珍重される我が国の肉食文化は、特殊な例であろう。昭和の時代、牛肉を提供するホテルやレストラン、ステーキ店などでは、松阪や神戸などのブランドや等級で顧客の満足度を確実に捉えてきた。半端な肉は出せない。代官山にオープンした1978年、メニューに組み入れたフィレ肉のステーキは黒毛和牛のA-4クラスを使用することにした。見栄があったわけではない。当時のメキシコ料理へのジャンクフード的なイメージを一掃するには、美味しさの感動に気づいてもらいたかったからである。玉ねぎやニンニク、人参等の香味野菜をサラダ油に三日間漬け込み、塩だけの調味で焼いた肉に、そのオイルを刷毛で上塗りしただけの皿は来店客の度肝を抜いた。この手法は最初の修業先アシエンダ・デ・ロス・モラレスで修得したものであったが、バターや醤油になれた日本人への挑戦でもあった。スパイスの香りや辛さを期待した彼らは驚き、「ソースは無いの?」と当然聞かれた。「ありません!」若さが優先した強引が賭けだったが、振り返るとよく通用したものだと今更ながら思う。

盛り付けには、洋食会で通称「ガロニ」と呼ばれる3色の調理野菜を添え、一品料理としての存在を示し、タコスだけの軽食ばかりじゃないと主張していた。食材のレベルに助けられたのか、意外に少しずつファンが増えていった。その中に一人に寺門ジモンがいた。月に1〜2度、このステーキを目当てに訪ねてきては、「いいね!美味しいね!」とご満悦だった。最近は牛肉のオーソリティーとして名を知られているが、その頃には予想もつかなかった。あれから30数年、現在、店にこのメニューは無くなったが、彼との親交は続いている。美食を追い求める姿勢は変わらず、何度も雑誌やTVの取材でラ・カシータの料理を取り上げてくれたところ、沢山のファンが個々に来店し、「寺門さんと同じメニューで…」と注文してくる。報告すると、良かったねと我が事のように喜んでくれた。ある日、人生の話題になった時、おやっさんのように真っ直ぐ使命を持っている人を見ていると、自分も目標を持つことにした。お笑いも大事だが、ここ数年、志村師匠の元で芝居を勉強していると吐露された。本業以外にも執筆やイベント出演等、多忙を極めている中、趣味も多彩で、私なんかの何倍も活躍している彼が、店に居ると素に戻るようである。先日も、「だいぶ丸くなりましたね。旧山手通りの頃よりは。」と笑みを浮かべながら、大好きな海老のにんにく炒めをトルティージャと共に食していた。