メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第82章

霞ヶ関 総務省

2010年4月14日午後1時。霞ヶ関駅で出迎えを受け案内された総務省の建物には警察庁も入っており、各省庁が立ち並ぶ周辺の中でも一際その存在感を示していた。厳重な警備態勢の正面玄関、中央の吹き抜け部分の周りを各階ごとに行政評価や統計の局が無作為に配置され、最上階の大臣室を含めてまるで迷路の様である。用意された30畳ほどの控え室にも驚いたが、引っ切りなしに各局の課長さんたちが名刺を片手に来室される。事前に了承は得ていたとはいうものの、ネクタイも着用せず、Tシャツに黒のブレザー、スニーカーで訪れた民間の一料理人は彼らの目にどう映ったのだろうか。担当官との進行打ち合わせでも、慣例の起立、礼はお断りした。失礼極まりない態度ではあるが、これまでの慣習打破の観点に繋がればとの思いはあった。地下講堂で待機する新規採用職員たちの様子を窺ってみた。早朝から何時間も公務員の心構えの研修を受けてきた緊張感からか、皆、難い表情に感じられた。厳しい競争を駆け上がってきた中で、それぞれ如何に自分を投影できるかの人生が始まろうとしている瞬間である。私に与えられた役割は現場の彼らに希望の光を灯すこと。講演の時間が迫ってきても自身の気持ちは妙に冷静だった。演壇も退かせてもらい、略歴紹介、講師に選ばれた経緯など、一通りの流れの後、壇上から一脚の椅子とマイク一本で講話がスタートした。

学生時代の社会情勢、アルバイトで気付いた天職、就職してからの上司との軋轢、そして苛め。場違いな私がなぜ講師を務めているのか、戸惑いがあったに違いないが60人全員が正面を向き、ノートに克明に記録していく情景を見たとき、思わず声に出していた。「君たちの資質より環境に問題があるように思う。上司を呼んで聞いてもらった方が呼ばれた意味がある」と。大きな拍手が起きた。何人もの表情が和らいでいた。提案をしてみた。省の規律がどれほどのものかは知らないが、机の片隅や引き出しの中に物でも写真でも自分の景色を置いてみてはと。横にいた職員が手を挙げた「先生、それはどれくらいの大きさまで?」。呆れて答えていた「まさか、そんな大きいものを置かないでしょう!」。場内に笑いが広がった。国の職務を担う重責はかなりのものだと想像するが、一個人であってほしい。将来を楽しみに頑張ってください。こうして90分の時間が過ぎ、会場を出たときだった。一人の女性が質問してきた。幼い頃から絵が好きだったが、両親が就職を機にやめろと言っている。描かない方が良いのでしょうか? 描いているのが楽しいのだったら、激務をこなす合間に描いたらと答えると、突然、有り難うございますと泣き出した。組織の大きさに我を失う不安があったのかもしれない。3年後、一人も鬱になっていませんと当時の担当官から報告がきた。