メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第87章

安らぎの里『碧』

高木君が自分の遠縁にあたる男を連れてきたのは、代官山旧山手通りに店を構えて一年も経った頃だった。レコーディングスタジオのミキシング技師を目指して音響専門学校に通っているが、授業料が高くて飯も食えないので、賄い付きでアルバイトとして雇って貰えないかとの申し出だった。丁度、人手が欲しかった時期でもあり、快く承諾した。住居は偶然、店の隣にある賃貸住宅に空きがあり、三畳一間で風呂も無くトイレは共同だったが、格安の家賃で入居できた。また好都合なことに当時の代官山の一角には、店から歩いて五分の距離に同潤会アパートの銭湯があった。何よりも横浜から通っている私には、休日や夜中に何かあっても対応できる管理人が居てくれるような状況が生まれたのである。真面目な性格で、学業の傍ら毎日よく働き、よく食べ、よく笑い、ラ・カシータのメンバーに相応しい男だった。2年後、残念ながら大手レコード会社各社の試験には合格しなかったが、高木事務所の女優たちのマネージャーを務めるようになる。ずっとぼろアパートに住み続け、裏口から顔を覗かせては賄いの残りをせがんでいたのが記憶にある。魔性の女と評された女優に付いた頃は、あまりの我儘ぶりに閉口していたが、持前の明るさで泣き言も言わずにただひたすらに自分の仕事をこなしていた。

20年も過ぎた頃だった。そんな彼に転機が訪れる。四国徳島で農業を営んでいた父親を交通事故で失ってしまう。残された母親は途方に暮れていた。一万平方メートルもの広大な作地を仕切れる者が居ない現状に悩んでいたが、テレビ東京の番組制作など、業界では顔も売れ、乗りに乗っている状況をすぐに閉ざすわけにはいかなかったのである。しばらくして連絡があり、話を聞いて欲しいと相談を受けた。彼の発案は素晴らしかった。自分は故郷に戻り、都市住民が訪ねてくる癒やしの村を設立するという企画である。つまり果樹オーナーを募集して、彼らとともに農業を継続させるアイデアだった。都会の喧噪を忘れ、田舎暮らしの体験による『ゆとり』や『安らぎ』の場を提供し、更に宿泊施設も完備する。脱帽である。是非やるべきだと賛成し、朝まで語り明かした。確信を持ち実行に移してから10年余、阿波名産のスダチ、みかん、柿、甘夏や桃、びわ、ザクロなど、さまざまな柑橘類に留まらず、筍、ミョウガ、タラの芽などの山菜類と、四季折々の農作体験希望者は引きも切らず。親の遺産を見事に開花させたのである。炭火の囲炉裏に吊した鶏つくね鍋を囲む古民家の宿は、地元の情報誌に度々取り上げられ、県外からも一般客が多く訪れると報告があった。先日、組合の用事で上京しメキシコ料理に舌鼓を打ちながら、いつの日かトルティージャも献立に加えて、創作料理の域を広げたいと冗談ぽく笑っていたが本心だろう。彼の名は原幸喜、宿は『碧』と命名されている。