メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第90章

常連客 ピーター・マッキャグ

「どうやって食べるの?」開業当初、よくこんな声を耳にした。実は強い思いがあり、軽食ではなく一品としてタコスを認識して欲しくて、提供するのに皿を使いパセリとレモンを添えていた。本国なら紙一枚でも通常だが、料理の全体像に導く啓蒙に凝り固まっていたのである。ナイフ、フォークを下さいと云われても断る態度は異常だったに違いない。確かに温かいものを手掴みで食べる行為は行儀が悪いとされる時代では、ホットドッグくらいしか思い浮かばないはずである。ハンバーガーが上陸して少しは変化があったが、デパートのティールームでナイフとフォークでサンドウィッチを召し上がるご婦人を目撃したこともある。焼きたてのトルティージャと熱々の具材に冷たいサルサの組み合わせにも、かなりの抵抗感を示された。時間は掛かるが、人々の認識を改めるには誰しもが同じ食べ方をしている光景を造り出すことだと強く感じていた。その頃の自身の記憶は曖昧だが、常連の顧客から「本当に頑固だった」と今でも話題になるので、相当のものだったのだろう。この40年の足跡で、メキシコ料理はタコスだけではないとの理解は定着したが、最近よく聞かれるのが「メキシコ料理に魚料理はあるの?」の質問である。新聞、雑誌、TVの各メディアがもっと情報を発信し、多くの日本人が本国の料理に興味を持ち、修行に出かけ、調理人が増えるにはまだまだ先の話だが、poco a poco(少しずつ)前に進んでいる実感がある。我が人生の時の中でいつかはその景色を見てみたいものである。

2008年の夏の頃だった。アメリカ人の若者がひとり、玉蜀黍の生地でチーズを包み揚げたケサディージャを食べながら、「これ、お母さんの味なんです」と話しかけてきた。親の名を聞いて思い出した男がいた。ピーター・マッキャグ、渋谷公園通りの店の頃から通い続ける客である。当時、国際基督教大学の英語教師だった彼はケサディージャが大好きで、何と6人前を平らげる大食漢。その後、日本人の彼女ができ、デートの度にその満足そうな彼の笑顔を見つめ、とても幸せそうだった。ある日、彼女にレシピを教えて欲しいと哀願された。マサ(生地)の練り方、チーズの種類、油(ラード)の温度、サルサのポイントなど、練習が必要だったが、何度か教えるうちに上手に作れるようになり、定期的に店で食材を購入しては、彼のために調理に励んでいた。やがて彼がニューヨークの大学に呼ばれ、しばらく会えなくなったが、現地では食材が豊富で、子供のおやつに作っていると里帰りの度に話してくれたのを覚えている。ピーターは優しい性格で、来日すれば必ず来店し、時にはフロリダにある同じ店名のLA CASITA(メキシコ料理店)のTシャツを土産に持ってきたり、店の存在を身内のように感じているようだ。米国にもメキシコ料理店は沢山あるが、たぶん世界一だと思うと絶賛してくれるので照れ臭いが嬉しい限りである。現在は秋田にある国際教養大学の副学長にまで出世したが、人となりは20代の頃のまま変わらず、家族と訪ねてくれてはやはりケサディージャをメインに食事を進め、若いときと同じようによく食べる。年齢はそう違わないが、お互い元気でいたいものだ。