メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第91章

早すぎる友の死

1978年、代官山旧山手通りにオープンして2年も経った頃には、有り難いことにほぼ連日予約満席の状況が続いていた。そんな大盛況の中、毎月のように予約の電話を入れ、空席がなければ並んででも待つという想いの男がひとり居た。先日亡くなった鳩山邦夫である。ミュージシャンや映画、演劇の著名人たちには数多く来店いただいていたが、政治家は希な存在だった。最初の頃の顔ぶれは奥さんのエミリーさんや秘書たちだったが、だんだんとまだ小さかった子供たちも加わり、8人から10人くらいに増えていった。皆、食欲旺盛で、注文量は半端ではなく、前菜からスープ、全種類のタコス、海老、鶏、牛フィレ肉、メキシカンライスなど、店のメニューを食べ尽くすくらいの勢いで食事に没頭していた。世界の蝶のコレクターとして知られているが、大の料理好きで、東京の自宅にはプロ仕様の厨房を設置し、機会あるごとに家族や同居人に自信作を振る舞っていた。主に中華料理を得意とし、赤坂の一流店にも負けない腕だと豪語していたが、ラ・カシータの味だけは真似できないと、少し悔しそうに褒めてくれたこともあった。国政の話には全く触れず、唐辛子やトウモロコシなどのメキシコ食材に興味津々で、特に大好きだったトルティージャスープのレシピをレクチャーしてからは、何度も挑戦していると会う度に報告してくれた。

偉ぶることなく優しい男だった。2002年に刊行した『魅力のメキシコ料理』の執筆に奮闘している頃、現在ではスーパーでも売られているハラペーニョやアバネロのフレッシュが当時は入手困難で、図鑑を構成できないと零したことがあった。何と数ヶ月後、秘書の方が来訪し、「鳩山からこれを是非、渡辺さんに」と渡された中身は、まさにその2種類のチレだった。本国から種子を取り寄せて自宅の畑で栽培したと聞かされたときの感謝は今でも忘れない。早速、御礼の電話を入れたが、本人は「喜んで貰えれば…」と然りげ無く言うばかり。実際は大変な苦労だったと推察する。選挙区を九州に移してからは、一年に二回程度の来店になり、味が恋しいのか、エミリーさんが「彼の為に、私が教室に通うわ」と言い出したこともあった。長男が代議士を志した時も連れて来て、「ここの料理で元気をつけろ」と嬉しいそうな笑顔で語り合っていた。一昨年、珍しく一人でやって来て食事した際、落ち着かない様子で何か言いたげだったが、満席だった為、ゆっくりと話せずにそのまま帰えられたが、今思えば、病気のことを告白したかったのかもしれない。過酷な仕事の現場がいつの間にか身体を蝕んでいたのか、残念な気持ちでいっぱいである。同じ昭和23年生まれ、早すぎる友の死は悲しい。心より御冥福を。