メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第92章

喧嘩腰の応対

振り返れば、渋谷公園通りの時代は随分と心の中に葛藤があった。世の中のメキシコ料理に対する大きな偏見をどのように修正していくのか。商いを続けながらの難しさに悩んでいたのである。日々の顧客とのやりとりからそれを分析していく時間が過ぎていった。勿論、初めての美味しさに気付いた者達も応援を約束してくれたが、その数には限りがあった。時は1977年、世間は「お客様は神様」の風潮である。如何に気に入られるかが繁盛店の条件だった。その向き合い方では、いつまで経ってもメキシコ料理は理解して貰えない。たった1年半の場所ではあったが、まるで音楽や舞台のリハーサルのように主張すべき部分が多々見えてきたのである。代官山旧山手通りの開店準備に奔走する一カ月間が答えを導き出してくれた。それは『相手の思うようにはさせない』『言うことを聞かない』の二カ条であった。言葉で示すとかなり強引ではあるが、何故?の視点で真正面から向き合って欲しかったのである。気に入らないならそっぽを向いてもらって結構、興味があるなら足を踏み出してと、まるで喧嘩腰である。ここまで継続しているから平気でこんなことを回想しているが、当時は挑戦者として必死だった。まず、酒を殆ど置かない店として認識して貰うことから始まるが、とても大事な件だった。

メキシコが陽気な国のイメージからなのか、飲んで騒いでというのが相手の思い込みで、そこをはぐらかし、前菜から一品料理の彩りを楽しめる時間を提供する場所にするには、ビール(テカテのみ)、ワイン、カクテルはマルガリータとサングリアのみ、テキーラは一種類、そしてワイン以外はどの価格も料理より高い設定にした。極めつけはウィスキーを除外したことである。現在でもメニューには無いが、当時のレストランでは水割りが当たり前。そういう飲食店に対する常識を否定して甘えさせず、全てを例外にして初心者に戻って欲しかった。隙を作りたくなかったのと泥酔者は面倒と感じていた。昭和の頃は酔うと言いたいことを喚き、覚めると全て酒のせいにする。そんな客は御免だったのである。そして、以前の原稿でも触れたが、注文は聞かずにメニューを見て伝票に手書きで記入して貰う。何もかもが初体験の状況だとすると、どこの誰であろうと同じスタートラインからなので、皆、横並びで歩み寄る意識に変わり、だんだんと定着していった。何よりも好結果を招いたのは、知識層はともかく、酒に溺れる年配者を排除でき、未来を先取りする若者達を取り込めたことであろう。代官山の土地柄に恵まれた旧山手の顧客達は、あの店を懐かしみ、そして頑なな応対を語り継いでくれている。