メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第94章

メキシコ料理の起爆剤

渋谷公園通りから代官山へ移転した頃、一番の課題はメキシコ食材の調達であった。トルティージャを調理するのに必要な硬粒種のとうもろこし粉は、大学の先輩が輸入してくれたが、唐辛子の類いを揃えるのはまだ難しく、見本程度の量を大使館から分けて貰い、何とかメディアの取材には対応していた覚えがある。当時は1ドルが360円。買い付けにメキシコへ出向く資金も無く、輸入物は全て高値を強いられ原価が半端ではなかった。幸い、赤唐辛子とグリーン・チリは開店当初から使えたので、それを駆使して前菜から一品料理の献立を構成し、少しでも本国の味覚が伝わるようにと奮闘していた。そんな状況の中、どうしても出したかったものがあった。アボカドディップのワカモーレである。メキシコを代表するタンピコステーキのサルサとしても外すことの出来ないメニュー。アボカドは今でこそ世間に親しまれ、どこでも安く購入できるが、この頃は高級食材として一部のフルーツ店に飾りのように置かれていた。価格は1個500円くらい。アルバイトの時給が350〜400円の時代である。広尾や青山辺りでは米国メーカーの粉末やダイスキューブの冷凍物は売られていたが、あまりにも粗悪品でとても使えるものでは無かった。オーセンティックな皿を提供するには高くてもフレッシュを使用しなければと決断し組み入れたが、価格はタコスの倍以上になりとても高価な前菜だった。

不安を胸に抱きながらのスタートだったが、オーダーが入ればその都度、瓶の底で果肉を丁寧に潰し、一晩寝かせたサルサを混ぜ込んで仕上げる旨さは絶品で、半年もしないうちに注文が殺到する事態に発展していく。恵まれたのは、近辺の料理店が味に定評がある一流ばかりで、美味しければ金に糸目をつけない富裕の方々が代官山を訪れていた風潮だったことだろう。特に諸外国の来店客達に好評で、一度食べれば病み付きになると絶賛のコメントが続き、高いけれど美食家が通う店として定着していく運びとなる。憂慮は確信へと変わり、手間を惜しまず献立にベストを尽くすスタンスは顧客の期待を裏切らず、ワカモーレの定評は現在も継承されている。思い返せば、神戸で仕事をしていた頃、翻訳した料理書でそれを知り、見かけて購入したアボカドは果肉に筋が入っていて、色は黒ずんでいた。こんな果物が何故、材料なのかと疑問だったが、後に本国へ渡り、そこで新鮮なアボカドが持つ濃厚な味を体験できたことがまさに発見であり、日本にこれを伝えなくてはと感じた出発点だった。まだ選び方に難しい面もあるが、近年、様々なジャンルの料理人が調理に多用する傾向にあり、実に使い勝手の良い万能の食材として知られてきたことに、時流の必要性を感じているこの頃である。メキシコ料理の素晴らしさを知らしめていく道程の中で、大きな起爆剤としての要素を備えているワカモーレの活躍は必然だと言える。