メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第95章

日本を代表するギタリスト

代官山、旧山手通りの開店準備を進めている頃、心に一つ決めていた想いがあった。それはソンブレロ(金、銀の糸で刺繍されたひろぶちの帽子)やポンチョ、サラペ(肩にかける布)を店内に置かないこと。確かにメキシコを象徴する飾りには適しているが、丁度、日本人が皆、羽織袴で刀を差し、芸者と過ごしていると思われている勘違いと同様で、かなりの抵抗があった。看板にも派手な粉飾はしなかったため、客の居ないときは手造りのテーブルや椅子を見て、家具屋と間違えられた出来事もあるほどである。イメージの先入観を排除した上で、とにかくメニューを見て注文した品を口に入れて欲しかった。強引だったが、スペイン語の料理名を知らしめるため、自分で伝票に書き込んで貰い、味覚から気付いて貰う作戦は、日々の営業の中で徐々に浸透していく運びとなる。音楽もマリアッチやトリオは流さずにムシカ・ランチェーラ(各地域の民謡)やハローチェ(ベラクルス音楽)をBGMにしていた。その頑なな姿勢に感動してくれた男がいた。後に日本を代表するギタリストとなる佐藤佳幸である。まだ譜面も満足に読めなかった学生時代からの付き合いだが、素直で明るく、無邪気な彼のギターの音を通じて自分を表現する感性にもう目覚めていたのであろう。1985年以降、高校の後輩にあたる渡辺美里の作品で見事にその才能を開花させる。ちなみに一つ先輩はEPOであるが、縁あって彼女のコンサートやレコーディングに参加したパーカッション(民族楽器)の第一人者、渡辺亮は私の従兄弟で、共によく来店していた。佐藤はそれを知らずに、随分と後にその事実を確認することとなる。

ワカモーレ、海老にんにく炒め、若鶏のモーレソースが大好きで、いつも目を輝かせて貪るように食べていた。最初の頃は音楽仲間と来ていたが、40歳過ぎの頃から若くてきれいな女性と付き合うようになり、デートを重ねていた。松さんに似ているなと思っていたが、まさかの松たか子さん御本人とは思いもよらなかった。しばらくして彼のために教室に通いたいとお願いされた時には驚いた。しかもレシピ本にサインまで頼まれた状況は、全く立場が逆である。彼女も純粋で気取りが無く、仲睦まじい二人は結婚にゴールしたが、独身時代と変わらずにそのままの雰囲気である。先日、松さんから「TVの番組なんですが、私の好きな店にラ・カシータを推薦してもいいですか?」と遠慮がちに連絡があったが、光栄なことである。放映されたTBSの「王様のブランチ」のおかげで連日、盛況の日が続いている。子育て、仕事に忙しい中、たまに顔を見せてくれるが、「本当にいつも美味しい!今日、来られて良かった」と、佐藤の天真爛漫に振る舞う様は若い頃のままである。まだ実現はしていないが、いつか教室に来られた際には彼のためにもしっかりと伝授したいもの。このカップルだけでは無く、一般の方々もそのようなケースが多々あり、16年におよぶ恵比寿の現場で教えた相手は数知れない。本国の食文化が培った独創性溢れる料理が醸し出す味の妙味が、人々の心を捉え、その探究心を引き出す魅力は素晴らしいものである。近い将来、各家庭の食卓にメキシコ料理の品が並ぶかもしれない。