メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第99章

折田さんから始まった応援の環

「あんた、ようやったなぁ。これから頑張りや」と中年の男性に声をかけられたのは、代官山旧山手通りにオープンして間もない頃だった。いきなりの挨拶に戸惑っていると、その男はこれまでの経緯を話し始めた。メキシコで代表を務めていた日本食レストランの大株主が、偶然にも私が修業していた店(Mezon del Caballo Bayo)のオーナーで、彼から日本人が働いていると聞き、会食の度に調理場の様子を見守っていたと明かされた。オーナーの名はSr. Jose Ines Loredo、本国でメキシコ料理発展の父と称され、料理協会の会長に食する大富豪の彼が手がけた事業が、日本の大手と組んだ合弁会社とは、その時は知る由も無かった。相手は我国ではワイン・ウィスキーでその名を全国に轟かせた最大の酒造メーカー。その当時、メキシコシティには5件くらいの和食店が存在していたが、中でも群を抜いた超高級店だった。因みにタコスが一つ日本円で30円くらいの物価の時代、何と味噌汁一杯が700円。とても庶民が食事できる場所では無かった。そこでの要の役職に就く彼が、一介の若造をまさか気にかけてくれていたとは驚きであり、ましてや励ましの言葉まで頂戴する事態は、感謝感激雨霰、嬉しかったのを覚えている。

それからは事ある度に、会社の部下達を伴い来店を重ね、前菜、タコス、一品と召し上がる毎に、店を応援するかの如く「旨いなぁ、ほんまに旨いなぁ」と大きな声で絶賛してくれた。関西人特有の気さくさは変わらず、帰国後の部長職から常務取締役に上り詰めるまで人柄はそのままだった。ある時、宇津井健さんがこの会社のコマーシャルに抜擢された折、担当者から宇津井さんがラ・カシータの常連だと聞かされ「あんた、流石や!」と嬉々として電話が入ったこともあった。誠に申し訳ない話だが、店はビール・ワイン・酒に関して全て他社の品揃えで営業している。酒類販売の競争事情が激しいこの国の中で、店と顧客との付き合いの常識では考えられない状況だが、有り難いことに何かを超えて応援の環は系列企業全般にまで広がっている。バブル崩壊で景気低迷の頃、ふらっとひとりで来られ、売上がおぼつかない現状を打ち明けると、「大丈夫やあんたは、自分を信じてればいい」と温かく助言してくれた。引退なさってからは半年ずつ、スペインと日本の暮らしで悠々自適の生活を送っておられ、在日の際は必ず一度は顔を見せて貰えた。口癖は「私(わし)はもういつ迎えが来ても、やることは全部やった。あんたはまだ頑張れる」である。ここ何年かはお会いしていないが、元気でおられることをお祈りしています。彼の名は「折田一」我が人生における最大シンパのひとりである。