メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第103章

都立芦花高校文化祭

都立芦花高校の家庭科を担任するお二人が訪ねてこられたのは、2016年初夏の頃だった。今年の文化祭でタコスをやりたいのでお話を伺いたいとの用件。切っ掛けは生徒が書店で私の専門書を読み、どうしてもと先生に要望したらしい。まずは召し上がっていただこうと、種類を選び、食される中で、トルティージャの在り方、サルサに使われる唐辛子の持ち味などを説いていた時だった。いきなり「どうしてメキシコ料理だったんですか?」と質問が来た。大抵聞かれることなので、学生時代のアルバイトで料理に気付き調理の世界へ入ったが、紆余曲折がありメキシコに関心を抱いた由。その頃はメキシコ料理の調理人はおらず、本国へ渡るしか術はなかったことなどを話していると、突然、一筋の涙が彼女の片方の目から零れ落ちた。驚いたのは「20代半ばでプランもビジョンもなく、唯衝動に身を任せて前に進む姿に感銘を受けました。是非、文化祭担当の生徒にその話を聞かせたい」と個人授業を依頼されたことである。女子高校生相手に少々照れ臭いが、自分の話が人の役に立つならと承諾した。後日、午後にやってきた生徒二人に、先生同席の下、私が高校生の頃の出来事から講話を始めた。50年以上昔の常識である。帰宅したら外出は必ず学生服、長い髪やギターを弾くのは不良扱い、喫茶店に出入りしたら補導など、現在では笑い話にも当てはまらないほどの非常識。だから今の校則や、先生や親の価値観は20年もしたら覆るから、抵抗するのではなく自分の信念の秤を見つけなさいと。

与えられた命の自己に向き合いながら、気骨を持って人生を過ごさないと勿体ないと助言を送っていた。調理に携わる際の食材の扱い方、タコスやサルサの解釈など、気が付けば2時間を過ぎていた。興味深く聞いてくれた二人から、一週間後に感謝の手紙が送られてきた。指導する教員としてやりがいを感じたのか、今度は先生が私の料理教室に通うこととなる。生地の練り方、伸ばし、焼きなど練習が必要なので、他の生徒には申し訳なかったが、事情を話して集中的に講義した。本番を控え、やる気は半端ではなく、マキナ(伸ばし機)も手作りした上で、毎週のように店でマサ(トウモロコシ粉)を購入しては全員一丸となって学内で励んでいた。ご招待をいただいたが、当日は週末で出席できず、頂戴した写真を拝見すると、なかなかのものでほぼ完璧に再現されていた。気恥ずかしかったのは、講話の時の内容が「渡辺庸生さんの生き方」と称して大きくパネル展示されていた場所の写真。あの時、先生が熱心にメモを取っていたのはこの為かと、赤面の思いである。欠席が正解だったのかも?…。何れにしてもここまで熱心に学祭に打ち込んでくれたのは十数年ぶりのこと。最初の訪問の時、現場の盛り上がりも大事だが、催事を通じて結束力と達成した充足感の中に生まれる意義を生徒の人生に持たせないと意味がないと、偉そうに先生方に求めたが、真摯に受け止めていただき、上々の結果に心から感謝である。