メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第105章

マリキータとの出会い

マリキータに最初に出会ったのは、まだ神戸で調理をしている頃だった。神戸でライブがある度に店を訪れた彼女の本名は「帆足まり子」。ラジオ番組のDJを務め、日本に中南米音楽を紹介したパイオニアである。1950年代後半に単身メキシコへ渡り、現地でバンドを組み、一躍人気者になった実績を持つラテン界の第一人者は、驕ること無くいつも優しく接してくれた。一回りほど年上だったが、年の差を感じさせない気さくさは、まるで身内の姉のような存在感を示していた。ある時、相談を持ちかけてみた。調理に悩み、本国に行くしか無いと思い詰めていた私に、「絶対、行くべきでしょう!」と背中を押してくれた言葉に今も感謝の念が絶えない。メキシコに住んで半年が経った頃、偶然の出来事が待ち受けていた。買い物を終え、インスルヘンテス大通りを歩いていた時だった。何と彼女と鉢合わせである。「やっぱり来てたんだ!」満面の笑みで喜んだ後、近くの高級ステーキ店で食事をご馳走になった。仕事の近況を報告すると、嬉しそうに頷き、料理の神髄を究めろと励まされた。この日のことは今でも印象深く心に残っている。更に運命は加速を促していく。それは渋谷公園通りに店を構えて数ヶ月が経った頃だった。すぐ側のNHK教育TVの「スペイン語講座」から出演依頼が来た。

メキシコのお話をして欲しいとの連絡があり、打ち合わせに出向くと、早稲田大学のスペイン語教授である寿里先生と並んでマリキータがいた。ラ・カシータを開業した情報は彼女の耳に入っており、是非にと推薦があったらしい。本国では誕生会やクリスマスには大きな紙製の人形にお菓子をいっぱい詰めて天井から吊し、目隠しをした子供達が棒で叩き壊すのを競う風習がある。そのゲームをメインに、歌と日常の様子を紹介する内容で進行は決まった。嬉しかったのは、収録日の打ち上げは出演者全員が店で盛り上がる状況が生まれたこと。皆、料理に舌鼓を打ちながらメキシコ話に花が咲き、夜は更けていった。その後、代官山の旧山手通りに移転してから、新しい企画が持ち上がった。定休日を利用して、店で彼女のライブをほぼ隔月で行うというもので、食事は提供せずにドリンクだけを用意する。貸し切り料は無しにして、飲み物の売り上げをいただくことで纏まった。歌声が聞けるだけでも有り難いのに、ファン達が顧客となり、集客に結びついていった流れは、店の繁栄を保証していた。毎月、店を訪れては賑わう店内を見渡し、まるで我が事のように喜び、「頑張りなさいね!」と肩に手を添えてくれたのも一度や二度ではない。ラテン音楽の開拓者にとって、日本では未知なる領域のメキシコ料理に邁進する私を見て、どこか似ている部分を感じていたのかもしれない。恵まれた出会いは更に進展するが、次回で。