メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第107章

世界初の食文化事典

代官山旧山手通りにオープンした翌年の1978年2月末、左隣に『ハリウッド ランチ マーケット』が開設された。これまでのファッションの常識を覆す古着でのお洒落は、若者達の絶大な支持を得てファンは急増し、ビンテージ品を求めて連日の賑わいを見せていた。その品々は正に戦後の憧れであったアメリカの歴史に裏打ちされた本物の価値観を知らしめていた。ボスの源さんが当店に共感してくれたのは、本国の食文化を真摯に伝えようとする私の姿勢だった。幾千年もの時を経て育まれた先住民の独創性溢れる食の歩みは現在も受け継がれているが、当時は誰も知るところでは無かった。メキシコの食材や調理法に関する認識を全く誤って記述している書籍も多く、取材に訪れるライター達を叱りつける私の姿を何度となく見かけた…と後に源さんは語ってくれた。自分自身の記憶には殆ど無いが、この頃の『東京うまいもの屋』や『東京食べ歩き』などの飲食ガイドブックを読み返してみると、熱心に強い口調で憤慨などの言葉が織り込まれているから、きっとそうだったのだろう。恵まれたことに年間100近くもあった週刊誌、月刊誌、新聞、単行本、ラジオ、テレビなどの来訪の度、ここぞのチャンスとばかりに捉えて対応をしていたのだと思う。嬉しい企画が舞い込んだのは1993年の春だった。

「今度、世界を網羅した食の事典を作りたいの。原稿、お願い!詳細は会ってからね」と、いつもの調子で連絡をしてきた電話の主は杉野ヒロコ氏。業界の名だたる料理ディレクターであり、ラ・カシータの創設期からいち早く味の名店として取り上げてくれたグルメリポーターでもある。2年かけてフランス各地の一流レストランを取材、その敏腕さと文章構成力には定評があり、大ホテルの総料理長や日本食の板長、フレンチ、中華、イタリアン、エスニックなど、著名なスーパーシェフ達が彼女には絶大な信頼を置いていたので、執筆者の名簿にはすごい方々の名が連ねられていた。メディアが挙って料理番組制作や特集記事に乗り出す時代より4年も前の話である。敏感に未来を読み切った彼女の行動力の枠に加えて貰えた事実は光栄の至りだった。使命感が頭を持ち上げてきた。原稿の字数は、一章1800字✖️10。食材や伝統料理の歴史的背景、国民食の体系的区分け、郷土料理における地域色、海鮮、淡水魚の妙味、調理の比較分類、主食の来歴など、書きたい主題は山ほどあった。原書から検証を取らなければならない部分が多々あり、時間を必要としたが、約4ヵ月かけて書き終えた。後日、手渡した原稿はかなり満足のゆくものだったようで、満面の笑みで握手を求められた。『食の文化話題事典』とタイトルが付き、秋に刊行された500ページにも及ぶ分厚い事典は、おそらく世界初である。