メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第108章

デパート出店

それまでフランス料理一辺倒だった洋食の領域に頭角を現し、瞬く間に料理界を席巻したイタリアンの台頭によって、1990年代は空前のグルメブームが全国を駆け抜けていた。TV各局は挙って番組を編成し、各出版社は既存の雑誌の特集だけに留まらず、新たに専門誌を刊行する社が増えていった。『dancyu』や『料理王国』などの、大御所の料理書籍社のお株を奪うようなユニークな取材力と編集は、飲食に携わる関係者は勿論のこと、世間一般の多くの人々の興味を引いていた。ラ・カシータも御多分に漏れずに取材が相次ぎ、毎月のようにその誌面を賑わしていた。そんな折、一本の電話があり、デパート出店の依頼が舞い込んだ。場所は池袋の東武百貨店催し会場、条件は現場でのイートインとテイクアウト、10種類以上の代表料理だった。果たして持ち帰りで未知の味が顧客に通用するのか一抹の不安があり躊躇していると、後日お伺いしますと電話は切れた。試食に訪れたフードコーディネーター達は店の味に太鼓判を捺し、是非にと推されると悪い気はしなかった。決断の切っ掛けはイタリアンとメキシカンの二本立てで考えていますと聞かされた時だった。相手は巨匠の日高さん。現在でも有名大シェフだが、当時絶頂の方である。比較啓蒙の絶好の機会であった。メニューの絞り込みに着手する中で、冷めても味や食感が劣化しないものと、簡単に温められる献立を選んだ。

当日、池袋駅には二人の顔写真入りの大きなポスターがあちこちに掲げられていて少々照れ臭かったが、名誉なことだと心して会場入りした。朝8時の朝礼に始まり、10時の開店までの準備に期待は膨らんだ。タコス類はイートインのみに限定して、低温にしたガラス張りのケースの中には、若鶏のモーレソースとランチェラソース、豚ロース肉の田舎風、ソーセージ入りのメキシカンスクランブルエッグ(ハラペーニョ風味)、メキシカンライスなどを並べてみた。現場は大多数を占める奥様族を中心に数百人単位の人々がのべつ幕無しに訪れてくる。初めて見る品々に質問の嵐である。「どんな味?カレーみたいなの?」丁寧に説明すると興味が沸いたのか購入される方々がだんだんと増えていった。焼きたてのトルティージャに熱々の具材を置き、フレッシュなサルサで食するタコスには感嘆の声が挙がっていた。こちらは若者が多かった。年配者には手掴みで食べることに抵抗があったのかもしれない。夜8時の終了までの初日に掴んだ手応えは、それから一週間上昇気流に乗り、無事楽日を迎えた。バブル崩壊の影響で店がそれほど忙しくなかったという状況も幸いして、イベントに専念できたことが好結果に繋がった。同業の情報網は耳聡く、評判をリサーチしたのか、その三ヶ月後は新宿高島屋から出店のお誘いがあり、今度はタコスだけを売った。最後は銀座三越からの依頼だった。昨今流行りのデパ地下での販売は非常に有意義な体験だった。1996年一年間の光栄な出来事である。