メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第113章

和泉ちゃんとの出会い

数々の企業の社内報編集に携わっていた女史、通称「和泉ちゃん」と知り合ったのは、東京に居を構えた1976年の春の頃だった。当時から真のメキシコ料理の啓蒙に情熱を燃やしていた私に興味を抱いたのか、仕事関係者と頻繁に店を訪れ「これが本当のメキシコ料理。全部美味しいんだから」と皆に吹聴してくれていた。来店の都度、同席者達には好評で、彼女はいつも終始ご満悦だった。ある日のこと、「これだけ美味しい料理ができるのなら、お願いがある」と切り出された。依頼は、某化粧品会社の機関誌に『今日の一品』と題して、簡単に家庭でできる献立を考案して欲しいとの内容だった。果たして創作メニューへの引き出しが、自身にどれだけあるかの挑戦だったが、調理人冥利に尽きると思い、引き受けた。スタートが一月からだったので、『洋風お雑煮』と称して、チキンコンソメで鶏肉とほうれん草を加熱し、そこにサラダ油で素揚げにしたお餅を入れるレシピを提出した。彼女は「こういうのが欲しかったのよ!」と絶賛だった。春はボイルしたアスパラとロースハムを具材にした『新だし巻き卵』、夏には、アボカドのスライスをスモークサーモンで巻き、オリーブオイルをかけ、ミニトマトとオニオンスライス、三つ葉をトッピングしたもの。秋はサンマを焼いて、身をほぐし、胡瓜の酢の物と合わせ、酢橘を添えた小鉢など、原稿を渡す度に期待感は高まり、編集部は大喜びだった。

2年ほど続いた連載が終わる頃だった。和泉ちゃんが連れてきたのは日本のロケット開発の父、糸川英夫博士と研究所の職員。印象深かったのは、先生の卓に置かれた皿に目を釘付けにして観察し、口に入れると目を閉じ、その分析するような召し上がり方だった。いつも穏やかで優しく、料理に舌鼓を打ちながら、来店される度に、探究心旺盛なのか色んな質問を私にぶつけてきた。中でも先生の興味を引いたのは、トルティージャに使われる消石灰だった。日本でもこんにゃく作りに使われていますよと答えると、「面白いね、関連性を調べてみよう」と興味津々だった。後日、消石灰の正体は水酸化カルシウムで、生地をしなやかにし、食材の香りを高め、酸性食品との中和剤として消化を助けると報告された。全く専門外の件なのに調べていただいた知識は、その後の私の講義に大いに役立っている。その頃はまだ珍しかった食用サボテンの話にも食指が動き、自分が出演する番組で調理して欲しいと懇願され、築地で購入した材料で収録に出向いた出来事もあった。育ちすぎていて渋みを出ていたが、なんとかサボテン談義で事なきを得た。終了後「ちょっと酸味があったけど、楽しかったね」と声をかけられた。1999年に天に召されたが、その3年くらい前までは奥様や職員とよく来られていて、本国の食の歴史を聞きたいと、飽くなき向上心は健在だった。その4年後和泉ちゃんも旅立ってしまった。お二人に合掌!