メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第121章

Mi Casita

現在の場所での再出発の目処が立ったのは、1986年の年初めだった。ビルの図面はできていたが、オーナーと設計者にお願いをして一部をテラスに変更、壁は一面をガラス張り、床は増築をして厨房の面積を確保し、更に裏口の外には、野外冷蔵庫の設置、倉庫対応の設備、更衣室、トイレなど、願い事の限りを尽くしていた。振り返れば、よくぞ強引な店子の要求を聞き入れてくれたものだ。おまけにビルの命名までさせてもらった事実は、その時の私は余程、自分勝手に燃えていたのだなと、自身でも呆れ返る。時はバブル景気の真っ只中、世の中は贅沢に浮かれていたが、メキシコ料理再現の為に資金を全て店に投入する姿に、高梨大家は感銘を受けてくれていた。何度か共に食事をする中で、メキシコの食文化を熱く語る私に影響されたのか、「自分も飲食の店をやりたくなった」と心境に変化が訪れていた。イタリアが好きな彼は、ラ・カシータのオープンと同時に「カターニャ」の名で一階に開業する運びとなる。有能なシェフを雇い、中々美味しい店だったのを思い出す。隣で八百屋を続けながら運営をしていたが、数年で疲れたのか、いつの間にか物販テナントに貸すようになったのは残念だった。根が優しい彼は仕事柄、野菜に詳しく、事ある度に色々教えてくれた。2014年に旅立ってしまうのだが、店の現在があるのは、大いなる理解を示してくれたスタート時だと感じている。

以前、第24章の原稿でも触れたが、店の内装工事が進む段階でメキシコ本国を巡るチャンスがあった。ラ・カシータの主要な二人と共に3週間、各地域の食文化を貪欲に探る、非常に有意義な旅だった。後に知ることになるが、ある場所で奇跡的な逸話が生まれていた。それぞれの州の歴史を感じながら、市場、定食屋、タコス屋、レストランを訪ねる中で見つけた「Mi Casita(私の小さな家)」の名。それはオアハカの街の一角にあるレストランだった。当然親近感を抱いて入店し、沢山 の料理を注文した。全部ではなかったが、チラキレス(揚げたトルティージャをトマトソースで煮たもの)、鶏のモーレソース(伝統的な唐辛子ソースを絡めたもの)が、私の調理の味に似通っていたのである。嬉しくなって「店主に会いたい」とお願いをしたら、大柄なSr. Miguelが顔を見せてくれた。名刺を出して、日本でこの店名でやっている、味も近いと告げると、驚いた様子で「本当かよ!!」と握手を求めてきた。その夜は彼とメキシコ料理の奥深さを語り合い、充実した時間が過ぎていった。それから10年後の話である。8年間居た教え子が転職を機にメキシコを訪ねるので、私の師匠の店、都市や地方の美味しい場所を伝え、送り出した。各地を回り帰国後、「オアハカの例の店に行ってきました」と渡されたShop Cardには「La Casita」、そして店名の下部には小さな文字で「antes Mi Casita(以前のミ・カシータ)」と記されていた。