メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第126章

師匠の優しさ

2010年、ユネスコは初めて3つの国の食文化を無形文化遺産に取り上げた。フランス、地中海、そしてメキシコである。当初、日本のメディアはNHKがフランス料理だけを番組にしたぐらいで、他の各局は話題にさえしなかった。無視同然である。知って欲しい事柄だけをつまみ上げる報道姿勢に憤りを感じていた。テレビ東京のBS局、BS・JAPANのディレクターから世界遺産の番組を制作するので、メキシコ料理についてレクチャーをお願いしたいと連絡があったのは、一年後の秋の頃だった。嬉しかった。ようやく腰を上げてくれた事が。数日後、店を訪れた5人のスタッフ達、担当責任者のディレクターは「メキシコは皆目解りません。どこに焦点を絞っていいのか教えていただきたい」とお手上げ状態だった。全体像を知ってもらおうと、日本の5.2倍ある国土の各地域に培われ、根付いた、6千年にも及ぶ食の軌跡から話を始めていた。個性豊かな唐辛子の類、香味野菜との妙味溢れる調和、独創性に満ちた調理法、そしてそれらが一体となった素晴らしい味の成り立ち。話したいことは山ほどあった。興味深くノートを取る彼らは真剣そのもので、講和の容は増し、気がつけば3時間の時が過ぎていた。ディレクターから注文があったのは、要のロケ地を3ヶ所に決めたいとの要望だった。

訪墨する女優の黒木瞳さんの友人がいるメキシコシティは外せないとの事情なので、私の師匠の店「Mesón Del Caballo Bayo」とソカロの近くのラグニージャ市場を推奨した。あと二つは難しかったが、やはりメキシコ料理の代表格モーレの発祥の地、プエブラの名店「Fonda de Santa Clara」と、七色の色彩を放つモーレの産地オアハカに決めた。スペイン人の攻勢にも屈しなかった先住民の末裔達が守り通しているオアハカの味も体験して欲しかった。番組のタイトルは「黒木瞳が行く食の世界遺産 メキシコ料理の源流を訪ねて」と聞かされた。ようやくメキシコ料理を真正面から捉えた取材がスタートする。しばらく会っていない師匠のガブリエルに手紙を書こうと思った。勿論、カバージョの味は期待を裏切らないが、数千年もの伝統に刻まれたメキシコ食材の魅力と調理を思う存分見せつけて欲しいと便箋に綴り、ディレクターに手渡していた。彼らも確かな手応えを感じたのか、自信を持った表情で「しっかりと撮影してきます」と店を後にした。2012年2月13日の夜、放映された内容は満足の行くものだった。驚いたのは、普段ダイニングの部屋には出ない師匠が、自ら伝統のサルサの類を調理、解説してくれているシーンの連続場面である。師匠の優しさが十分に伝わってきて、手紙でお願いをした言葉に応えてくれた友情には感謝この上ない想いだった。