メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第127章

神奈川大学『西風会』(Part 2)

2010年、ユネスコは初めて3つの国の食文化を無形文化遺産に取り上げた。フランス、地中海、そしてメキシコである。当初、日本のメディアはNHKがフランス料理だけを番組にしたぐらいで、他の各局は話題にさえしなかった。無視同然である。知って欲しい事柄だけをつまみ上げる報道姿勢に憤りを感じていた。テレビ東京のBS局、BS・JAPANのディレクターから世界遺産の番組を制作するので、メキシコ料理についてレクチャーをお願いしたいと連絡があったのは、一年後の秋の頃だった。嬉しかった。ようやく腰を上げてくれた事が。数日後、店を訪れた5人のスタッフ達、担当責任者のディレクターは「メキシコは皆目解りません。どこに焦点を絞っていいのか教えていただきたい」とお手上げ状態だった。全体像を知ってもらおうと、日本の5.2倍ある国土の各地域に培われ、根付いた、6千年にも及ぶ食の軌跡から話を始めていた。個性豊かな唐辛子の類、香味野菜との妙味溢れる調和、独創性に満ちた調理法、そしてそれらが一体となった素晴らしい味の成り立ち。話したいことは山ほどあった。興味深くノートを取る彼らは真剣そのもので、講和の容は増し、気がつけば3時間の時が過ぎていた。ディレクターから注文があったのは、要のロケ地を3ヶ所に決めたいとの要望だった。

その後も交流は深まり、事ある度にボランティアで店の仕事に従事してくれる子達が増え、どの子もメキシコの食文化の話には興味津々で、幾人もが時を忘れて聞き入ってくれた。本校にも呼ばれてサークルで講義をする中、当時副部長を務めていた男がラ・カシータへの就職を希望してきた。願ってもない出来事だった。スペイン語・英語に精通し、メキシコ滞在も経験している経歴はパートナーとして充分すぎる戦力だった。即、採用である。最初に着手してくれたのは『ラ・カシータ操業マニュアル』の作成であった。予め準備しておく下拵え、仕込み、調理の手順、飲み物、料理の出し方、厨房、パントリー、洗い場における諸作業など、それまで口頭で伝えていた現場指導の数々を全て手書きで店の手引き書として一冊に仕上げてくれた。料理名、スペイン語の知識も織り込まれ、さすが『西風会』で培った実力を目の当たりに見せてくれた。見事なものである。現物はその後継承されていく店の来歴の基礎となる貴重な記録として、今も大切に保管してある。接客も丁寧で人当たりも良く、後輩にも慕われ、教育係として絶大な存在だった。店が今日あるのも、彼が居たからこそと、今更ながらに受け止めている。ギターを愛し、憂歌団が大好きだった彼は数年後、ブルースの真理を極めるためシカゴへ旅立って行った。帰国後、英語教師の職を経て、現在は現役のブルースシンガーとして活躍している。彼の名は林賢次郎。店の歴史に名を刻む男である。