メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第130章

僕の聖書

近年、全国にメキシコ料理を提供する店舗が増えてきている。2011年にメキシコ大使館がリサーチした折には350店ほどだったが、おそらく400店を超えているだろう。嬉しい限りである。ただ、イタリアンに比べるとまだまだ過小の現状を鑑みると、料理の地域性や歴史的時代背景が世間一般に浸透するには、これから約30〜50年の時を要するのではないだろうか。しかし前進していることには間違いなく、先行きが楽しみではある。2018年1月に所用で神戸に帰った際に、偶然思わぬ出来事に遭遇した。小学校からの盟友が食事に誘ってくれた地元の名店で、おいしく串揚げをいただいていた時のことである。阪神電鉄深江駅に近いその店は案内でも無いとまず行かない場所である。カウンター越しに見える主人の包丁捌き、手際の良さ、そして見事な仕上がりに、思わず「僕も料理をやっているんですよ」と話しかけていた。メキシコ料理なんですけどと続けると、彼は「この近くにもあったんですよ」と返してきた。どんな献立を調理していたのか興味が湧き尋ねてみると、スマホを取り出し、美味しかった皿は写真に残してありますと見せてくれた。感心した。ワカモーレ、チラキレス、メキシカン・スクランブルエッグ、トルティージャに目玉焼きを乗せ、トマトソースで絡めたウェボス・ランチェロス、牛ステーキのタコスなど、全て美味しさが伝わる出来映えであった。トルティージャも生地を練って伸ばして焼いていたと聞いてはもう他人事ではない。

ジョギング中に異変が起こり、2015年11月1日に46歳の若さで亡くなった彼。いったいメキシコのどこで修行したのか、聞いてみると意外な答えが返ってきた。なんでも、日本に初めて本格的なメキシコ料理を伝えた人の本を熟読して、調理に励んでいたとの返答には鳥肌が立った。名刺を渡して立場を打ち明けると、主人は驚いて「ええ〜、レジェンドですか〜」とお互いにびっくりである。店は2002年に始めたらしく、ちょうどその年の2月に最初の専門書を刊行していた。これは僕の聖書だと常日頃言っていましたよ、と聞かされては感涙である。ホームページが残っていると検索してくれた当時のメニュー写真を見せられて、また感動である。海老のにんにく炒めに施されている食材の下拵え、リフライド・ビーンズの質感と色合い、タンピコステーキの肉の開き方、表面の焼き具合、ケサディージャ、エンチラーダスの仕上がり、どれをとっても調理工程をしっかりと把握した一皿一皿である。こと細やかに解説した調理の細微な部分を見事に理解してくれていた。存命であれば、逢ってもっと色々な技術、知識を伝授したかった。メキシコ料理に目覚めたきっかけは、新婚旅行がメキシコだったそうで、後日、奥様に逢うことができ、すごく渡辺さんに尊敬の念を抱いてましたと聞かされた。店名は「Fetish」、彼の名は「大杉征樹」、逢いたかった男である。