メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第134章

メキシコの地酒

プレ・イスパニカ(スペイン文化到来以前)の古来からメキシコに根付いていた酒『プルケ』は、テキーラの原料でもあるアガベ(竜舌蘭)の一種から作られている。アガベ・アトロビレンスと称される一番大きな類で、その樹液を大桶で7日〜14日間発酵させたものがPulque(プルケ)である。語源はナワトル語のOctli Poliuhqui(オクトリ・ポリウキ)で、腐敗または変質した発酵酒の意だが、花を近づけると、正に腐ったような臭いがする。少し泡立ちのある乳状で、とろとろ、ヌルヌルしている。現在でも製造されていて、特に中央高原地帯の農民達は仕事の疲れを癒やす酒として愛好者が多く、村の酒場(プルケリア)で音楽を聴き、カードや噂話を楽しみながら嗜んでいる。最近では大きめの陶製やガラスの容器で飲ませる所が増えてきたが、アココテと呼ばれるひょうたんから作られる伝統的な器で提供する店もまだ残っていて、その消費量は本国で飲まれる総アルコール量の4分の1を占めると言われている。スペイン人到来の時代、彼らには好みでは無かったようで、他の種類のアガベからもっと度数の高い蒸留酒が造られるようになった。それがMezcal(メスカル)である。数多くの地域で製造されているが、オアハカ市南方のマタトランで造られるそれらの評価が最も高く、テキーラよりも青臭い香りと味が特徴で、中にはマゲイに巣喰う虫入りもある。

そのメスカルに魅せられた男がいる。彼とはもう40年以上の付き合いになるが、最初の切っ掛けはメキシコのビールに興味を持ち、テカテやカルタブランカなどを日本に持ち込んでくれたのである。ちょうど、1978年、旧山手通りに開業する折で、正に店の救世主、絶好のタイミングだった。まだコロナビールが知られていく20年も前の時代である。その後、テキーラを輸入する会社(ソルグランデ)を立ち上げ、直接、現地の小規模な製造元を訪ねて良品を発掘する手腕は見事なものであった。大メーカーの大量生産のものとは違い、丁寧に手作りされたそれらに店の顧客達は心底喜んでいた。2008年、日本にテキーラ協会が設立された頃だった。突然メスカル専門に移行していくのである。オアハカで一家が有機栽培しているアガベで造られた純粋・無垢なメスカルにで合い、その格調高い品質に惚れ込んでしまった。幕張などで行われる食品展で紹介していくうちに、三浦半島にメスカルバーを創設する。店の名は『La Cuenta(お会計)』、何ともユニークな命名である。フロンティア精神豊かなところが似ているのか、同志のような存在である。彼が選んでくれたメスカルは評判も良く、リピーターも徐々に増えている。未知なる分野の開拓に邁進する彼の名は朝倉久(ひさし)、メキシコを何度も行き交う中で、風貌もメキシコ人と間違えるほどの姿になり、最近ではパンチョ朝倉と呼ばれている。喜ばしいことに私が署名した推薦状が幸いしたのか、本国から日本メスカル大使に任命された。