メキシコ料理の店 ラ・カシータ/Restaourante La Casita Cocina Mexicana

オーナーシェフのコラム

第19章

大きな壁が動いた!!

西洋料理に精通した方々のメキシコ料理に対する解釈が、如何に伝聞に拠る勘違いであるかの講釈を話し始めた私に、最初は戸惑いを感じた彼らも耳を傾けてくれた。未知の領域の知識に理解を示してくれたのを肌で感じた頃、「だから、チリパウダーなどを使ったメニューを組み入れるのは、ニューオータニの恥ですよ。」とまで言い切ってしまった。講習に関しても「ここの方が設備が整っているよ。」とお誘いを受けたが、食材が絡み合う動線の脈絡の中で一品、一品が完結する我が店の現場がベストですと、譲らなかった。失うものなど何も無かった。今想えば、背水の陣で臨む私は何と生意気に見えた事だろう。相手側にもプライドがある。当時の意識として大ホテルの料理人が町場の店で教えを乞うのは非常識であり、屈辱であった。 お互い譲らないままに暫(しば)し沈黙の時が流れ、会議は平行線のまま流会しようとした時、古谷総料理長から「いいじゃないか、渡辺さんの店に行きなさい。」と宴会担当料理長に命令が下った。取り締まり役からの意見は正に鶴の一声だった。それまでのもやもやした空気が一瞬にして晴れ渡り、5人全員が「それが良いと思います。」と賛成の挙手をしてくれた。

帝国ホテルの村上氏、ホテルオークラの小野氏に並び、3本の指に挙げられる古谷総料理長の教え子は流石に技術もセンスも卓越した人物だった。習得の速さはレシピだけで無く、材料の持味、料理名の意味、一皿の成り立ち、地域性、歴史における時代背景、私が持てるものの全てを注ぎ込んだ3日間の研修時間の濃密さに表れていた。観光大臣や各省の大臣、関係者を引き連れた大統領御一行200名の来日の夜、ご招待を受けた会場の現場は、約30品目のメニュー構成で見事にメキシコ伝統料理一色に再現されていた。明くる日の迎賓館の宴会も好評だった。業界でも話題に昇ったのか、その後、「是非、ラ・カシータの厨房で覚えたい。」と『椿山荘』や『長野観光ホテル』等の一流どころからの料理指導依頼が舞い込むことになる。一途な思いは今も変わらないが、若い頃の自分を振り返るとその無謀さは、京外大の校風に即した“反骨精神”に基づくものかも知れない。大統領来日から8年後、一通の葉書が届いた。そこには「今、ロス・アンジェルス・ホテルニューオータニの総料理長の任についております。あの時の教えがすごく役立っています。」と彼からの感謝の気持ちがしたためられていた。